クラシック音楽におけるアナログレコードの復活
つい2年少しほど前、とっくに消滅したと思っていたアナログレコードの新譜が巷で売られており、しかもそれがブームになりつつある、という報道に驚いたことをこのブログでも書きました。ただし、その際に調べた範囲では、ブームの牽引役はジャズやポップス系の音楽で、購入層もCD以前の音楽メディアに馴染みのない若者たちが中心。多分にアナログレコードそのものに対する物珍しさもあるからだろうと想像していました。ところが、このところクラシック音楽系のCDを購入しようとオンラインショップのウェブページを検索すると、驚いたことにCDと同じ中身のアナログレコードが高い確率でヒットするようになりました。例えば、この11月にリリースされたブルース・リウの新録音『ウェイブス~フランス作品集』もCDとアナログレコード(30cm LP)が同時発売されています。(いうまでもなく、ブルース・リウは2021年のショパン国際ピアノコンクールの優勝者。)この状況に驚いた亭主、クラシック音楽系の音盤がどういう状況にあるのか、ネット上で少し調べてみたところ、アナログレコードの新譜がゾロゾロと出てくるのにびっくり。前述のブルース・リウの場合もそうですが、近頃は新譜を出す際にはCDやハイレゾ音源だけでなく、アナログレコードまで含めた3種類の音盤を同時に出すことが常態化しつつあるように見えます。加えて、以前にCDでのみリリースされた古い音源を「リマスター」した上でアナログレコードの新譜として出すことも行われているようです。例えば、こちらも最近10月にアナログレコードとしてリリースされたアルバン・ベルク四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏全集は、ウィーン・コンツェルトハウスでの1989年のライヴ録音。(亭主も作品18の初期四重奏6曲のCDをよく聴いた覚えがあります。)その他、この2-3ヶ月の間にも、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルの「マラ2(復活)」、アンセルメ/スイス・ロマンドによる「三角帽子」、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルによる「チャイ5」、ギレリスによるベートーヴェンのソナタ、グルダによるモーツァルトのピアノ協奏曲、さらには今年生誕100年を記念してマリア・カラスがタイトルロールを歌うプッチーニの歌劇「トゥーランドット」などなど。これらのタイトルが記された30センチ四方の大きなジャケットの写真を眺めていると、何だか半世紀前にタイムスリップしたような気分になります。では、このような「昔日の名盤」のアナログレコードの購買層はどういう人達でしょうか?これはその価格設定を見ると大体想像がつきます。例えば、先ほどのブルース・リウの新譜では通常のCDが定価(?)2,700円なのに対し、アナログLP版は2枚組ということもあって7,000円と3倍ぐらいの設定になっています。古い音源の復刻LPについても同じで、相場としてはLP1枚がおよそ3000円という感じです。このような金額を気前よく払えるのは懐に余裕がある年配のクラシック音楽ファン(亭主より上の世代)であろうことが容易に想像できます。それにしてもこのクラシック音楽におけるアナログレコードの復活、亭主には何とも解せないところで、やはり単なるノスタルジーとしか思えないのですが、何がそれほど彼ら・彼女らを惹きつけるのでしょうか?ネット上の記事を眺めていると、CDよりもアナログレコードの方が「音が良い」という意見を時折見かけます。実はこれ、CDが出始めた1980年代から一部で言われ続けていたことで、音源をデジタル化するに際して高い周波数の音(44,000ヘルツ以上)をカットしていることなどが槍玉に挙がっていました。とはいえ、実際には録音機器上の音はCDその他のメディアにコピーされるまでにさまざまな加工を施されています(高周波カットはそのような加工の一つに過ぎません)。人間の耳も「測定装置」ではなく、音楽体験は脳の情報処理と一体になっている、といったことを考えれば、CDとアナログレコードによる再生音の違いは(あるとしても)メディアに付随するものではない、という気がします。現代のアナログレコードプレーヤーが昔のものに比べて進化しているのかどうか、亭主にはわかりませんが、レコード針を音溝に落として信号を拾い出すところは変わっていないようなので、音盤につくホコリや傷に由来するノイズは相変わらずだろうと想像されます。亭主はCDの登場によってこれらのノイズから解放されたことに大いに感銘を受けたものでした。一方で、このデジタル時代にあえてアナログレコードに手をだす年配者(亭主もそれに近い)の気持ちも分かる気はします。それは、例えば鉄道オタクが実際に動いている(博物館の陳列品ではない)蒸気機関車に抱くノスタルジーに近いのかも。実用的には全く過去の遺物であるものの、その動く姿や発する音・煙はまさに「動力」の象徴であり、我々の過去を(美化しながら)強く喚起します。もし手元にまだ動いているアナログレコードプレーヤーがあったとすれば、ひょっとすると亭主もアナログレコードの新譜に手を出したかも?