謎の変拍子
先日、ベルダーによるスカルラッティのソナタK. 179の演奏で、元のテキストにはない短調から長調への移行という「解釈(トランスクリプション)」が披露されていることをご紹介しましたが、今日はそれにも増して謎めいた演奏を取り上げてみます。問題の演奏はソナタK. 490。この作品、K.491、492とともにニ長調のトリプレットを形成する一曲としてよく知られたソナタですが、4分の4拍子で始まる冒頭4小節のギャラント風(フランス風?)の楽節が二度繰り返された直後、ベルダーは何故か突然9小節目の全音階の速いスケール(下図)を4分の3拍子ぐらいの拍でさっと弾いてしまいます。同じことは繰り返しである11小節目でも行っていて、ベルダーが気まぐれでやっているわけではないことは明らか。この部分、16分音符で始まった音階が途中で32分音符に変わったりするので、確かによく数えてみないと間違いそうになります。ベルダーの演奏を聴いて自信がなくなった亭主は、例によって手持ちの楽譜を調べてみましたが、ギルバート版、ファディーニ版、カークパトリック版いずれも上のヴェネチア手稿と同じで、拍数の合計もちゃんと4分音符4拍分になっています。実際、カークパトリックの録音ではこの部分を正確無比に弾いており、ベルダーのそれと両極端を成していて思わずニヤリとしてしまいます。ところでベルダーの演奏、この部分の拍をよくよく数えてみると、どうも3拍より短く聞こえます。そこで、この小節中の音符を全て32分音符だと解釈すると、全拍数が(4分音符を一拍として)8分の19拍、およそ2.4拍になるので、ベルダーはそのような「解釈」をしているのかもしれません。が、これもあくまで推測。いずれにしても、何故これほど「耳に逆らう」拍の取り方をしているのか、謎が深まるばかりです。ちなみにK.490という作品、専門家の間では異本が多いことでも有名なようで、例えば上述の問題ヶ所のすぐ後ろ、10小節目と12小節目の第2拍に符点があるバージョン(フィッツウィリアム・コレクション)が存在しています。他の似たようなリズムを持つ小節(上図3, 7, 13, 14, 15小節)ではみな符点リズムで、ここだけ符点なしなのには抵抗があることも明らか。実際スコット・ロスは、(フィッツウィリアム・バージョンを参照したかどうかは不明ですが)符点付きで弾いています。もしかすると、ベルダーはこの符点なし部分の違和感を解消するためにあえて変拍子を入れたのでしょうか...