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一昨日(10/24)のブログで鴨川の友禅流しの事に触れましたが・・・・
京都の名産を作る現場が身近にあったことの最たるものでした。 それで思い出したのですが・・・・ 今日京都博物館のこの文化財の煉瓦塀の前を通り、ふと昔の光景が蘇りました。 昔、この石垣と歩道の間の一段高い長い敷石の部分にいつも扇子の骨が干されていたのです。 近所に作っている人がいて干していたのだと思いますが、大らかだったのですね。 グーグル画像で探すと・・・・有りました。 こんな形で上の写真の石の上に並べて干していたのです。 しかし、こんな干し方は見た事がありませんでした。 また、清水焼については五条坂からJR東海道線の東山トンネル、そして泉涌寺の下辺りまで窯元が沢山ありますが、沢山あった登り窯はホンの数基使われる事のない煙突が残っていますか電気窯(ガス窯も?)に代わって焚かれることはありません。 しかし・・・昔は、窯焚き屋さんなる人がいて、登り窯を焚くことを商売として、あちこちの登り窯を焚いて回っていたのでした。 偶々近所にその職業の人が居たので知っている事なのですがそれだけで商売になるのですから如何に窯が多かったかという事の証です。 それからついでながら私子供の頃の遊び場所のひとつは通称「土取り山」と言う小山でした。 子供の頃のことなのではっきりしたことは分かりませんが、陶器材料の土(粘土)や壁土用の土を、重機なんかない時代ですので、人力で掘っていたのでした。 あちこち掘った跡に水が溜まりトンボの幼虫が生育してそれはそれし沢山の種類のトンボがいたものでした。 そこは今、京都女子大学のキャンパスの一部になっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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