恥ずかしながら、解決しました。
昨日のブログの続きです。
今日法衣の半プロが来てくれました。
いとも簡単に「答え」は分かったのですが・・・・「法衣」ではなく「袴」だったのです。
自分が和服について、如何に何も知らない事を自覚せざるを得ない結果でした。
まず弁解から書かして貰います。
昨日載せた写真のこの部分を全く誤解していたのでした。
寺院で高僧の姿を見ますと・・・この様に高い襟が付いていますので・・・・
これだと言う先入観に拘り、姓を刺繍してある部分を首に持って行ったのが間違いでした。
私が法衣だと書いていましたものを・・・半プロは見るなり・・・「なんだハカマだ」・・・と言うのです。
何?? そしたら刺繍のしてある部分は何なの?? と訊ねると、一度着てみれば分かると・・・自分で着て見せてくれたのです。
試し着して、前はこうで・・・
横がこうなりまして・・・
後がこうです。
白い矢印の部分が私が襟と誤解したで部分で、腰に当たる箇所だったのです。
因みに高僧の後ろ襟が高くなっているのは「僧綱襟(そうごうえり)」と言うらしいです。
netで調べると確かにそう書いていました。
そして、私が「靴ベラの様なものと書いていましたものは袴の「ズレ止め」だと言うので、これもnetで調べますと・・・この様に載っていました。
この袴止めヘラの使い方はもう一つ理解できなかったのですが・・・
袴があるなら紋付もあるだろう!!?? と言われて、引き出しの下の方を探すと確かにあったのです。
その紋付と袴を半プロに手伝って着てみますと・・・
・・・と一応、サマなりました(笑)
(・・・・とここまでは(恥ずかしながら) 昨日書いた事への答えなのですが、ハカマのことならご存知の方ばかりのはずと赤面の至りです)
そして、羽織もあったのです。、袷(あわせ) と単衣(ひとえ) が・・・
袷の方には立派な裏が付いているのです。
ここなのですが・・・
「三笠の山に いでし 月かも」 百人一首まで刺繍してありました。
半プロ曰く、裏地を凝るのが心意気、男の甲斐性だったとか。
そして、別にもう一着の紋付が・・・
これは女物という事なので母親のもの、そして上の男物は父親のものという事になります。
父親が死んで50回忌を数年前に終り、母親が死んだのが阪神明石震災の年ですので、これらの着物は少なくとも26~27年ぶりに日の目を見たことになります。
他に男ものの着物(女物も)があったので、「もったいない着ろよ」 と言われたのですが・・・(笑)
ところで、たたむのにああでもない、こうでもないと、私の苦労が馬鹿みたいに・・・・
さっさ、いとも簡単に綺麗にたたんでくれました。
余談ですが、この半プロは高校同窓生ですが、現役の時には硬い硬い仕事(製鉄会社の営業部長) をしていたのに、リタイヤ後、こんなに柔らかいものにも熟達していたのです。
話には聞いていましたが、その変身ぶりに只々感心したのでありました。
昨日の記事に頂いたコメントの返事は明日させて頂きます。