年賀状
(´・ω・)ノ ちゃお。変態です。あけまして……あひゃひゃ(´艸`)失礼。年始のおわらい番組をはしごしています。年賀状は出しましたか?私は出していません。出さない事に決めたのは、何年前でしょうか。忘れました。日本人が年賀状を出すようになったのは、いつからなのかご存じですか?郵便局ができてからです。年賀状というのは、郵便局ができた当時、手紙を書くことがあまり一般的ではなかった日本人に、なんとか郵便局を利用させようとして考案された商業用の宣伝です。これが、以前の記事に書いたような「相手を気遣う」という日本人の気質によくなじみ、今では礼節として定着したわけです。ですから、年賀状の本質は「相手を気遣う」ことにあるのであって、「手紙を書く」ことにあるのではありません。そういった事から、個人の主張として、手紙もメールもなしにして、出会ったときに挨拶して終わりにしています。なぜ、わざわざ、そんな理解を得がたい事をするのか?私は別に、世の中に反旗を翻したいわけではなく、漫然と周囲に合わせて、意味も分からずにマネをすることに、危機感を覚えるからです。意味も分からずにマネをする事が、どれほど危険か。たとえば、最近のRSプレーヤーには「w」を「^^」の意味で使っている事があります。「w」は、「笑う」の略です。「^^」は、笑顔の顔文字の略です。両者の違いは、「w」には冷笑や嘲笑が含まれる事にあります。横してきた人に「それはマナー違反ですよw」と言うと、「お前はそんな事も知らないのか」と嘲笑しているようにも取れます。特に、自分は正当だと思っている相手には、そのように取られやすいわけです。それから、あちらこちらで見るようになったのは、「? ^^^^^^^^^^^^^;」という表現ですね。お前いったい、どんだけ目玉があるんだ!?と、いつも思うのですが。これらは、意味も分からずに漫然とマネをしているから、そのようになるのです。前者はトラブルを回避したいにも関わらず、むしろトラブルの元になりますし、後者はさっぱり意味が分かりません。きちんと意味を理解して、判然と行動しなくてはなりません。そのための第1歩が、世の中の形式に「なぜ?」と疑問を持つことだと思うのです。年賀状に話題を戻せば、起源をきちんと知ることが重要です。そして本質が何であるかを見極めなくてはなりません。本質をきちんと知っているならば、はがきという形式が、ただの「手段」である事に気づくでしょう。手段から本質を切り離し、本質だけを自分の中に持ち、そして相手によって、最適の手段を選ぶ。これが「きちんと意味を理解して、判然と行動する」という事です。その結果、選んだ手段が葉書ならば、従来通りに年賀状を書くでしょう。私の場合は、選んだ手段が葉書ではありませんでした。挨拶だけでは簡単すぎるのでは?まあ、そう思われても仕方ありません。本質だけを、できるだけそのまま表現するなら、物理的媒体をできるだけ排除すべきだと本質に気づいたときに、そう思ったのですから。