1年。
せっかくupdateしたのに、仕事中だったもので(←そこがもう×だけど)社長が突然脇を通ったものだから、思わずウィンドウを閉めてしまい、全消し・・・。Oh, nohhh去年実父が他界した。余命3ヶ月と言われた末期の膵臓がんが発覚してから、1年4ヶ月の闘病生活だった。最初の頃、治療が合わないのか耐え難いものなのか、顔色も表情も機嫌も悪かった。ただ、余命の3ヶ月を過ぎると、治療の効果も少しは出てきたのか治療と治療の間は少し楽な時もあるらしく、以前のようにふるまえる時も時たまあった。その日はいずれ来るとわかっていたけれど、後1日、後1ヶ月、後1年と期待し、知り合いは7年生きたらしいよ!と、まるでその日は来ないかもしれないという方へ家族の心が傾いていく・・・。母には何度か覚悟してなよ!と諭したけれど、父や母がそれを断固として拒んだから、いずれにせよ家族はそう思わなければいけない風だった。そんな中、等々治療は最後となり、治験に移った。治験はおそらく大した薬じゃなかったんだろう・・・そして、徐々に父は悪化していった、元気にしていたけど、笑顔は減っていたし、何故か出血し止血ができない状態にまでなっていた。それでも最後の望みを託し、1ヶ月後に妹の住むハワイに旅行へ行く準備もしていた。妹に会わせてあげたかったのが本音だ。それは3ヶ月前、妹がハワイへの移住を決め、空港へ見送りにいった日、エスカレーターを降りていく妹をガラス越しに見ている父があまりに辛そうだったから。あれは、娘の顔を見るのが最後だと思っていたからだと思う。そんな瞬間は何度もあって、娘が産まれる前に撮った息子の2歳の記念撮影の時も、・・・七五三はみれないな・・・父が亡くなる寸前にあった私の息子の運動会の時も、・・・来年は来れないな・・・同じ顔をしていた。すべて叶えてあげたかったけれど、どれも叶えてはあげられなかった。それと並行し、医者はその出血をどうにかできないのか?ときいた。最後の望みの治験ももう終わっていたし、尽くす手はない状態なのを父は既に受け入れた後だったのかもしれない。私はネットで色々調べて「○○式みたいのを試してみよう!」とあがいたけれど、、父は首を横に振るだけだった。死ぬまで遊ぼう!がモットーで生きてきた人だったから、最後はもう母に残すお金を無駄遣いしたくなかったのだと思う。誰も上手に受け入れる方法を見いだせぬまま昨年10月25日午前中、行かない方がいーよと言っていた麻雀へ行き、その場でゲームもできぬまま倒れ、病院へ搬送されてしまう。私が最後に喋ったのは、その二日前になる。保育園の帰り道は、基本実家に立ち寄り、父親に息子を会わせるのを日課にしていた。その日、息子がいつものように、外から大声で「じーじー!!」と呼ぶと、ベランダから顔を出すだけでなく、外へ出てきた。「おかあさんまだなんだよ」別に母の事はどうでも良かったが、家にこもる事が多くなった父親には、それぐらいしか娘との会話もなかったのかもしれない。「ま、そろそろかえってくるんじゃない」そして私も適当な返事を返していた・・・。ただ、1年も経つ今でもその光景が頭に浮かぶのは、その時、父親が「きれいだなぁ」と夕日に向かってぼやいたからだった。確かに10月の夕焼けはきれいだった。青い空に太陽が反射しキラキラしている薄紅色の雲、けれど、それは、私にとっては何とも柄にもない、、(父親)らしくもない言葉に感じた。後から思えば、カウントダウンであり、胸騒ぎだったのかもしれない。そして、翌日も実家に立ち寄ろうとしたら、突然雨が降り出した・・・私は息子が濡れて風邪でも引いたらいけないと、じーじのところに立ち寄りたい息子を言いくるめ、真っ直ぐに家に帰った。そして、その翌日、お昼過ぎ、2時間前に母からきた電話にやっと気が付き、慌てて支度し、タクシーで保育園に息子を迎えに行き、病院にたどり着いた時には父親はもう意識がなかった。時たま、心電図の音が途切れ、声をかけるとまた復活し、病院の先生には呼吸器をつけるかどうか聞かれたけれど、もう不要だという事を伝え、その日すぐに父親は亡くなった。そこから、葬儀屋、保険、ゴルフ会員権、全ての物の名義変更、車、カード、携帯などの手続き、とにかく長女の私と旦那は母の為に色々やらなければならなかった。何度か、残された女3人は大ゲンカをしたが、バタバタした日々はその後だんだんと落ち着いていく。私は長女だ、嫁にいっても、長女だ。それがプレッシャーなのか、この1年母には冷たくなってしまっていた。最近は徐々に緩和してきているのを感じるが、このしこりがいつ消えるかはわからない。毅然と振る舞い、今を生きてる風に装う。それでも、これからくる10月の夕日が怖い。それでも、これからくる10月の雨が怖い。今年の運動会も、来年の七五三も、もう諦めていた後ろ姿を思い出す。そう いう みらいが が、近づく。訪れる。私は耐えられるのだろうか、父親の遺影の顔は何も言わない。