青春デンデケデケデケ~青春の終わり編~
ヤター!! ニッポン勝ったね~!! ┌─┐ ┌─┐ にっぽん!. ┌─┐ ┌─┐ │●│ │●│. にっぽん! │●│ │●│ └─┤ └─┤. __ __ ├─┘ ├─┘ _ ∩ _ ∩ |. ● | |. ● | ∩ _ ∩ _ ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡.  ̄ ̄| | ̄ ̄ ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ ) ┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡 ヽ(・∀・)ノ ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐ |●| |●|. V . |●| |●| └─┘ └─┘. 〇 . └─┘ └─┘ 最後まで見てたさ~。 やっぱイチローすげー!イチローヘアにしようかなw 久しぶりに、野球おもしれーって思ったよ。 やっぱり、歴史があるだけあって強いねニッポン! サッカーがかわいそうになってきたw 今年は正念場だねサッカー!! さて、今日も引き続き、マニアの世界へ・・・。 高校卒業後、ひとり暮らしをはじめた俺。 やはりバンドをやりたいと思っていたので、いろいろ探してみた。 ブルースのサークルに参加したこともある。 後日、そのサークルの主催者がアナウンサーとしてテレビに出ていたときはびびったw あとは、頼まれてギタリストとしてバンドに参加したり。俺は楽譜をおぼえらんないから、ほとんどアドリブww そんな日々が続いていたある日・・・ いつものようにネットでメンバー募集の掲示板を見ていた俺。 ひとつの記事が目にとまった。 見てみると、俺がよく聴いているバンドを、向こうも聴いているらしい。 ちなみに、俺がよく聴いているバンドを聴いたことがあるっていう人は、めったにいないw これは!と思い、さっそくコンタクトを試みた俺なのであった。 バンドの名前は、「3rd culture kids」。パンクバンドだ。 俺は、Vo&サブGtとして加入することになった。 メンバーは全員30代。当時二十歳だった俺は、いろんな意味でけっこう刺激を受けた。 まず、加入して2週間後にいきなりライブw 今思えば、ヘタレだったな~俺・・・。 まだ自分のスタイルが確立できてなくて、とりあえず演奏してるだけって感じ。 ああ、恥ずかしい・・・。 このバンドは精力的に活動していて、ほぼ毎月ライブをやった。 やっぱり、ナマはいい。 お客の反応がダイレクトに伝わるし。 それから、他の出演バンド(対バンという)にも刺激を受けた。 その地域のパンクシーンの最前線だけあって、レベルが高い。 パフォーマンスも含めたハイレベルなステージを見て、俺はいろいろ取り入れていこうと考え、 自分もお客になって騒いでたよ。 ほとんどの人が30代で、仲間内では俺がいちばん若かったと思う。 お客もバンドも、みんなパンクが大好きな人たちだから、 見た目もパンクなわけでww ライブの日なんか、ライブハウス周辺は異様な雰囲気にwwww 俺も革ジャン革パンでツンツンヘアという、いかにもな格好してた。 なんかとにかく、とんがってないといけなかったんだ、あのころは。 普段は口数も少なくておとなしい俺。いや、ほんとにw でも、ステージ上ではまったくの別人になります。 まず、じっとしてない。 そして、ギターはめちゃくちゃ。練習ではちゃんと弾くけど、 本番では、どうしても暴走癖が出てしまい、まともに弾いたことはほとんどないw まあ、ギタリストが別にいるわけだしね。 ギターはかっこつけるためにあると俺は思ってたから、 衝動のままにやってた。たまに投げ捨てたりw そんなこんなで、けっこう評判もよくなっていって、 俺の名前をおぼえてくれる人たちも出てきたり。 そうなると、やっぱり欲しいのが、オリジナルの音源!! ライブ見にきてくれた人たちが、買ってくれたらウレシイじゃんね。 だから、レコーディングしましたよ! レコーディング当日、7時出発だったのに、5時に寝た俺w 睡眠時間2時間でレコーディング突入という、やぶれかぶれな一日がはじまった。 まず、スタジオに入ってから説明とか受ける。 レコーディングっていうのは、だいたい楽器を先に録音して、 歌は、録音した演奏を流して、カラオケみたいにしてあとから録音する。 この日も例にならって、先に楽器から録音をはじめた。 俺はギタリストじゃないから、音のよしあしにはあんまり関心がなかったんだけど、 やっぱギタリストは気になるらしく、録音しては聴いて「これはちがう」っていうのの繰り返し。 納得いくまで音を作り、機械をいじってはやり直す。 そんなこんなで数時間。 で、CD作るわけだから、当然ジャケット撮影も。 寝不足の上、煙草の吸いすぎで、吐きそうになりながら撮影w こんな調子で、歌入れのときはすっかり夜。 結局すべての作業が終わったときは、日付が変わっておりました。 そんなこんなで、出来上がったのがこれ。 たぶん、今も通販とかできるんじゃないかなー。 その後は、プロの前座やったり、新聞にのったり、 活動は順調だった。 しかし・・・ 俺はだんだんと感じていた。 もうパンクはできないんじゃないかと。 現状に不満を抱き、常に攻撃的で飢えているのがパンクだ。 しかし俺は当時、仕事があり、彼女もいて、満たされつつあった。 満たされた人間にパンクはできない。 24時間パンクじゃない奴には、パンクはできないんだよ。 パンクに捨てられるときが近づいていた・・・。 俺が生まれて初めてライブハウスでプロのライブを見たのは、 忘れもしない、18歳の夏。東京の新宿ロフトというところで見た、 MAD3というバンドのライブだった。 高校時代、バンドでよくカバーしてた憧れのバンドを間近に体感して、 俺は興奮したものだった。 そして、パンクとの別れが近づいていることを悟った俺にやってきた最後の戦いの場に、MAD3はやってきた。 俺が初めて生で体感したバンドと、競演する日がきたのだ。 なんとなく、運命くさいものを感じた。 オファーがきたときは、即答でOKしたものだ。 その日の俺は妙に落ち着いていたが、MAD3のメンバーとちょっと話すことがでいたりして、正直うれしかった。 まあ、ライブでは喰うつもりでいたけどw お客は半分以上がMAD3目当てなわけだけど、全部強奪するつもりだったw そのくらいに思ってないと、やってられなかった。 ステージ上では相変わらず俺は暴走し、ぶちきれていた。 でも、そこにひとつの結晶がうまれたことは、なんとなく感じられた。 自分でいうのもおかしな話だけど、たぶん俺の生涯でいちばんいいステージだったと思う。 終わったあと、声をかけてくれる人もけっこういた。 やった・・・。 そう思いながら俺は、終わりを感じていた。 後日俺は、バンドを脱退した。 ひき止めてくれる人もいたけど、もう俺には無理だった。 パンクじゃない人間がパンクをやったって、 そこにリアリティはない。 リアルじゃないパンクなどクソだ。 世の中には「パンクでござい」っていう連中がごまんといるけど、 そんな連中と一緒になるのはごめんだった。 パンクに見捨てられた俺は、その後の音楽性を見出せずにいた。 その間、カフェで弾き語りなんかやったりしたよ。 この時期はブルースとかよくやってた。 勢いで暴走するパンクとは違って、お客に「聴かせる」演奏をやんなきゃいけないんだけど、 これがまた難しい! 修行しなおし。 そんななか、あるお店に入ったときに流れてたのが、これ。 吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズ「Squeezin' & Blowin'」 5秒くらい聴いた時点で、そっこーで誰なのか店の人にきいて、 そのまま買いに走った。 いわゆるジャンプブルースというジャンルなのだが、 説明しにくいな・・・。 http://kiju.oops.jp/music/07.html ↑ここで試聴できるみたい。直リンクだめだったらごめんねw とにかく、曲も最高だが、歌詞も最高。 肩肘張らず、あるがままに楽しんでいるのが伝わってくる。 けして、ビジュアルがかっこいいわけではない。 ただのオッサンだ。 だってほら・・・ ねっ?けしてかっこよくはない・・・ だけどカッコイイ!! しかも、普段は会社員なんだってww やっぱ、楽しむってのは大事だと思った。 難しく考えることはないんだね。 やりたいことをやればいいんだもんね。 今の俺がやりたいことを、できるかぎりやればいい。 誰にも理解されないかもしれないけど、 そんなもんだよ。 人生そんなもん。 孤独でもいいじゃない。 そんなこんなで、今にいたる俺。 誰にも理解されなくても、まあいいやって思えるようになった。 楽にいこ~ぜ~。 ハァ・・・ つまんない話でごめん・・・ 明日も見にきてくれるかな!?