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ロカビリー探偵事務所ロケット88ホテル&ツアーズ
「雨上がりの夜空に」
ロカビリー探偵事務所の近くにある
ブックオフで
レコード100円というセールをやっていた
どうしようもないレコードの山の中から見つけたのが
RCサクセション
RHAPSODY
23年程前、テープが擦り切れるまで聴いた
よォーこそから始まる
RCサクセションのライブ版だ
家に帰り
RCサクセションの
RHAPSODY
に針を落とし・・・
雨上がりの夜空にを聴きながら
そういえば、
瀬川兄貴が言っていた
こんな言葉を思い出した
「三浦友和もRCサクセションだった・・
嘘と思うならネットで調べてみなー」
本当だろうか?
今更だが半信半疑
ちょっと調べてみた
おー雨上がりに夜空に流れる♪
うージンライムのようなお月様♪
「ホ ホントだー
デビュー前には、
俳優の三浦友和もパーカッションで参加していた
『ウィキペディア(Wikipedia)』RCサクセション
すごいぞ兄貴
パソコンがなくても
兄貴の脳は、最新スペックを搭載した
スペシャル情報処理マシーンだ
ついでに三浦友和でも調べてみた
『ウィキペディア(Wikipedia)』三浦友和
初期のRCサクセションではバックミュージシャンとして参加
中期はゲストでライブに参加したことはあるが、
RCサクセションの初期メンバーという説は誤り
んー微妙!!!!
その時
携帯のメールを知らせる
キーハンターの
オープニング曲が流れ
偶然にも瀬川兄貴から
「瀬川兄貴のガッツリ言わせて」
第四弾 「雨上がりの夜空に」の原稿が届いた
三浦友和もメンバーだった!!!!
やっぱり
やばい!!!!!!!!!!!!!
でも・・・・・
仕方がないWindowsのOSもXPから
Vistaに変わってしまったし・・・・
ファジーな時代を懐かしんで・・・・
僕は、最高スペックを搭載した
兄貴の脳をガッカリさせない為
微妙な原稿を訂正せず
送られて来たままブログを更新した
「瀬川兄貴のガッツリ言わせて」第四弾
「雨上がりの夜空に」
先日、鈴木ヒロミツ氏が
肝細胞癌でこの世を去ってしまった。
彼のGS時代はリアルタイムでは知らない。
テレビでの司会や刑事ドラマなどに
出演していた印象が強かった。
モップスの
「たどりついたらいつも雨ふり」という歌は、
以前勤めていた会社の上司が酔っぱらうと
いつもマイク握りしめて熱唱していた
十八番だった。
彼のスタイルを継承していたのは
こんなバンドかもしれない。
そのバンド名は「RCサクセション」
(アマチュア時代には俳優の三浦友和もメンバーだった)
人気絶頂時の奇抜なメイクの印象とは違い、
デビュー当時の清志郎はTシャツにジーンズ姿。
どてら姿に下駄をつっかけた感じの
学生フォーク・ロック・バンドだった。
初期の「スローバラード」や
「ヒッピーに捧ぐ」は、
すばらしい名曲だと思う。
彼らや井上陽水もモップスの前座を
していたそうである。
また、清志郎と陽水の付き合いも永く、
昭和の傑作。
井上陽水「氷の世界」の中で、
「帰れない二人」という、
すばらしい詞を提供している。
中学生の頃だったか、
親父がよく観ていた
テレビ朝日の深夜番組の
曜日別のコーナーで、
「夜のノンヒットスタジオ」という
フジテレビの超人気番組名をパロディにした
無名歌手が出演するコーナーがあって
主に演歌歌手が出演していた。
その「夜のノンヒットスタジオ」に
ピンクのタイトスーツで
ブラウン官の中をところ狭しと動き回る。
ド派手な「忌野清志郎」率いる
RCサクセションなるバンドが歌っていた!
「これが流行りのステップ!ステップ!」
彼は跳ねたりしながら...、
挙句にはTVカメラに唾まで吐きつけた!
ブラウン官の中の無礼な連中に、
お茶の間でほろ酔いの親父は
激怒していたのを覚えている。
度肝を抜かせた彼らに
僕が引き付けられない理由がない。
それはRCの第二期とでも言えるだろうか、
ギタ-リストに
仲井戸麗市が加わった頃の事である。
やがて「トランジスタラジオ」
「雨上がりの夜空に」とヒットを連発。
奇抜なメイクと衣裳と
和製ローリングストーンズ化した
奇抜なパフォーマンスは、
あっという間に注目され
スターダムへ登りつめて行くのだった。
坂本龍一と共演した
「いけないルージュマジック」は
化粧品のCMソングして起用され、
非難の渦だった唾を吐く清志郎のインパクトは
坂本龍一とのキスシーンによって、
新世代のモードとして、
80年代のマスコミからもてはやされた。
清志郎はソウル・キング
「オーティス・レディング」を
崇拝していて
ソウルフルなナンバーでは、
時より「ガッタ!ガッタ!ガッツ!ヘヘイ、ヘイ!」などの
フレイズを入れてくる。
それは「オーティス・レディング」の
スタイルそのものである。
1967年、当時26歳で不幸にも飛行機事故で
12月の冷たいモナノ湖に沈んでしまった。
僕はずっと初期の「ヒッピーに捧ぐ」という曲は
オーティスの死を描いたものだと思っていた。
それは、
どうやら違っていたようである。
当時、彼らのマネージャーが亡くなり、
その彼へ捧げる作品だった。
80年代爆発的な人気を得ていた頃にも
「多摩欄坂」や「よそ者」などの名曲が残っている。
やがてメンバーはソロ活動を始める。
80年代のバブル期、
僕の街にも
カフェ・バ-やプール・バ-が続々出来上がり、
粋な女性を連れて
ナイン・ボールに興じてした日々…。
BGMから清志郎の唄う
「スタンド・バイ・ミー」が聴こえてきた。
当時は、シングルでも結構高価だった
「アーリー・タイムズ」のロック・アイス揺らしながら、
「かっこいいなぁ…」どのアルバムの曲だろう?
何度かレコード屋を歩いたが見つからず、
その後、この清志郎バージョンを聴くことがない。
もう一度、聞いてみたい一曲である。
そんな清志郎も去年、
闘病生活から復帰、
今や「LSD」に没頭!
かつての清志郎スタイルというよりも
パワーの完全復帰を望んでやまない。
多くの昭和のスター達が去って逝くのは、
とても悲しい…。
それは仕方のないことだけれど、
少しだけでもその瞬間に生きていたことを幸せに思う。
2007年3月 荒れ地のガソリン・スタンドにて
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最終更新日
March 21, 2007 07:48:55 PM
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