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May 23, 2008
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カテゴリ:瀬川兄貴ブログ








紫のハイウェイのSAにて



最近 パソコンのディスプレイの電源が急に落ちたり 点いたり ご機嫌ななめなこのパソコン  そのせいでブログの更新が出来ない始末 そんなバットタイミンな時に連絡が途絶えていた瀬川兄貴から突然携帯メールにメッセージが入った 

熱いぞ兄貴

早くブログにアップしなければ! 

俺は、何度もディスプレイの電源が落ちるこのパソコンと戦いながら 久しぶりに瀬川兄貴から届いたメッセージを更新する 

ロックンロールの火をともさないために・・・

ハロー!エルビス!!
この歳になると生き方や考え方からにじみ出る男の色気のようなものってあるよ。
ロックンロールとバイクで何かに反抗していた連中が歳を重ねる毎に色気が出てくる感じ…。
ある程度の余裕があって自由な生き方と遊びを楽しむような…。

ご無沙汰しております。…瀬川です。

【瀬川兄貴のちょっと言わせて/ロックンロール・エンジェルス】

1975年。当時20代の若者たちがそれぞれの道に向かって走り出した。

1972年、矢沢永吉とジョニー大倉が出会って結成した日本のロックンロール・バンドの原点「CAROL」の1975年4月13
日。日比谷野外音楽堂で解散。
「COOLS」は1974年に舘ひろしと岩城滉一が出会ってバイク・チームとして結成。
この日、雨の日比谷野外音楽堂で行われたキャロルの解散コンサートで「COOLS」は大役である「CAROL」の親衛隊を務めて
いた。

「燃えつきる=キャロル・ラスト・ライヴ! 1975.4.13」
その日比谷野外音楽堂での2枚組のライヴ盤である。
そのレコード盤に中古で買ってもらったレコード・プレイヤーの針をそっと落とす。

「ハロー! あのよぉ今日は、ちょっと雨が降ってるけど、最後までのれよ。 いいな!」
永ちゃんのこの第一声から伝説のロックンロール・バンド「CAROL」のラスト・ライヴが幕を開ける。
そのオープニングは「ファンキー・モンキー・ベイビー」
リアルな音源に想像力を駆使してその伝説のラスト・ライヴを頭ん中で描いていた。
そして「憎いあの娘」「グッド・オールド・ロックン・ロール」「メンフィス・テネシー」
リードボーカルを務める矢沢永吉とジョニー大倉の絶好のバランスで演奏は進んでゆく。
今夜が最後となったキャロルのステージにかけつけた仲間を紹介する。
ゴールデン・カップスが惜しまれるキャロルの解散を語る。
「あのさ、みんな聞こえないみたい。もうちょっと大きな声で…」と永ちゃん。
キャロルのものまねを披露するなぎら健一。海援隊の武田鉄也もステージにいる。
そして永ちゃんはCOOLSのメンバーを見つけてファンに紹介する。
「クールスってバンドでも何でもない。ただのグループね。ひろしちゃんと滉ちゃん」
舘ひろしと岩城滉一のこと。
そして内田裕也。
「俺とヤザワもいろいろあったけど・・・」
そんなコメントでロックン・ロール・スタンダード「ジョニー・B・グッド」が演奏される。
「ズッコケ娘」「スローダウン」そしてデビュー曲の「ルイジアンナ」でステージを降りる。
熱狂したファンはステージへと押し寄せてラスト公演の続行が困難となる。
アンコール前、熱狂してステージに上がろうとするファンにアナウンスで条件を出す。
「ステージを降りたら、永ちゃんに出てもらう…」親衛隊を務めるクールスの舘ひろしだ。
同じキャロルファンからステージへ上がる熱狂したファンへの罵声。
そして、アンコール。
デタラメな英語で演奏される「エニタイム・ウーマン」
エンディングの「ラスト・チャンス」演奏の後、「パッ、パッ、パパパ…」とノイズ音。
予期せぬ事態に騒然とする日比谷野外音楽堂。
「何?何?」「火事。火事…」「ピーポー、ピーポー」口でサイレンを真似るファン。
これが演出だと思ったファンのボルテージは上がって歓声を上がる。
そして消防車のサイレン。消火にあたる消火器の音…。ここでレコードの針は上がる。

今はこの解散コンサートの模様を収めたDVDが発売されているが、矢沢永吉はキャロルと当時の事務所、レコード会社等とのイザコ
ザでキャロル時代のものを公にすることはなかった。
そのラスト・ライヴの映像は1984年「矢沢永吉ヒストリー」のオープニングに登場する。
このビデオの発売当時、矢沢永吉はテレビ東京の「TOKYOロックTV」に出演した。
キャロルの解散コンサートの1シーン。「ファンキー・モンキー・ベイビー」を唄う永ちゃんの前を深くキャップをかぶった舘ひろし
が横切る。
「今、通ったの、舘ひろしだよ」と矢沢永吉はモニターを観て嬉しそうに語った。

COOLSのデビューシングル「紫のハイウェイ」の他、1stアルバム「黒のロックンロール」で矢沢永吉は「五大洋光」の名で楽
曲を数曲提供している。
そして2ndアルバム「ロックンロール・エンジェルス」を発表後、あの日比谷野外音楽堂で
ロックンロール・バンドとしての「COOLS」のラスト・コンサートを行い解散した。

その後は「COOLS」の名を引き継いでバンド名を変えながらも村山一海、佐藤秀光、ジェームス藤木らは1975年から2008
年の現在までもそのスタイルで活動を行っている。

どこか泥臭い港町・横浜発信の「CAROL」のロックンロール・スタイル。
その名の通りクールな都会の匂いの原宿発信の「COOLS」のバイク&ロッカ・スタイル。

ああやって駆け抜けてきて、いい歳の取り方して磨かれてゆくものなのだろう…。
そして俺たち…、「C」の棚のレコードをかき回したCOOLS派もCAROL派も…。

2008年4月 紫のハイウェイのSAにて


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最終更新日  February 16, 2009 11:33:56 PM
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