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カテゴリ:よもやま話
■◇◆□注意!夢のお話です■◇◆□□
「五十・重の塔と無愛想なもてなし」 今は区画整理がなされ、広幅員の道路が続き、整然とオフィス・ビルが立ち並ぶ有数のビジネス街となっていますが、かつて駅の東のこのあたりは、汚い掘っ立て小屋と原っぱしかありませんでした。 その時代の、真夜中の道を歩いています。 空き地からこぼれ出るススキ、民家の窓からこぼれ出る薄明かりだけの風景。 連たんする屋根の、うすぼんやりとしたシルエットも無性に懐かしく感じられます。 リアルでは東八番町というあたりの、角を曲がったところで大きな五重塔が見えました。 真新しい建物です。なぜか、内側からさかんに光っています。 近づいて仰天しました。 地面が果てしなく掘り下げられ、地上は五重塔だがその下に数十階ほども続いているのです。 山門はそれほど大きくなく、ちょっとした料亭のような佇まいです。 不思議なのは、門の下は黒い大きな荒削りの岩盤であり、その上を浅く池の水が流れ出ていいます。 傍らにいかめしい堂僧が立っています。「僧兵」という感じもします。 私は「参拝することはできるのですか」と聞きました。 「時間外ですが日中は参拝可能、900円です」 と無表情で答えました。 私の後ろから恰幅のいい紳士が現れました。 堂僧は急に愛想がよくなって、「どうぞ、こちらへ」と彼を招きました。 スポンサーなのか。 私も一緒に中に入りました。 足元を流れる水の流れは気にならりません。 私はいつの間にか自分の団体を伴っています。 空港で、ファーストクラスとそれ以外でゲートが別れるところがありますが、そんな感じの空間です。 「ムラカミの一行、こちらへ!」と呼び捨てで呼ばれ(私の名前はムラカミではないですが)、入っていくと団体ごとの食堂になっています。 カフェテリア方式になっていますが「食事とって!」とカウンターの向こうの従業員は居丈高です。 私はさすがに入り口でのこともあり、不愉快になって、「社長さんいる?それからあなたの名前は!」と詰問しました(私は実際はめったにクレームをいいません)。 男は悪びれもせず「営業接客部長の須藤だ!」と答えました。 すみませんでしたでも何だもなく。 いよいよ、この野郎という気がしてきます。 私は「この店、お客を扱う態度じゃない!間違ってるぞ、あんたら」 男はしゃあしゃあと言ったもんです。 耳をほじりながら顔を卑屈にそむけ「態度じゃないんですよ、実力ですよ」 なんと、言いも言ったり! 「実力って、なんだ、このぱさぱさのサンドイッチとか出して・・」 とまくしたてようと思ったのですが、まわりが凍りついたようになってしまいました。 せっかく旅行に来た人たちに気まずい思いをさせちゃいかんな。 食堂の奥にある、次の間に案内されました。 今度は劇場ですが、日本のような階段式のシアターではなく一階がずっと平場でクラシックな布張りの木製の椅子が並ぶ。はるか前方で「ロシアのかしまし娘」のようなコメディアンがギターを下げて声を張り上げていますが、面白くもなんともない。 観ること数分間。右側の壁一面に描かれたチャイコフスキーの肖像画が口を開きました。 「それでは、また次を案内いたしましょう」 今度は、部屋自体がゴンドラとなってごとんごとんと移動していきます。 建物間をこのように地下通路が結んでいるのでした。 今度は映画館のような場所に移動しました。 私たちは升席に座り、料理をいただきます。 会場からアナウンス。「今度はこれまでよりいいものが出ますよ」 一番のご馳走は朝鮮料理の、生魚をそのまま発酵させたナントカいう食べ物ですが、これは癖が強くてなかなか口にできない(私は韓国の光州で同じようなものを食べた経験があります)。 それを隣の見知らぬ若い女性はおいしそうにぱくぱくと食べています。 この人、いつから私のグループに入ったかなと思いました。 中国、ロシア、ベラルーシ共和国などいわゆる共産圏の国々を訪れたときの記憶が凝集したような夢です。政府関係者、あるいは市民と市民の暖かい交流と、一般客としてデパートなどで体験した不愉快な応対とのギャップが夢の中で増幅されています。クレームも楽しむことも不完全に終わるのは、どういうことか。 過剰なまでの設備投資が、人の心しだいでは決して真の贅沢に至ることなく、途方もない空虚な浪費に終わること・・ということがこの夢を貫くテーマだったのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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