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テーマ:温泉について(1666)
カテゴリ:鳴子温泉郷(宮城)
一人~二人旅に最適、温泉情緒満点の宿です。
私が泊ったのと同じ部屋の写真。いいでしょう、裏山の緑が庭がわり。 (写真はHPより) トイレは部屋の外ですが、喫茶店のトイレのような新しい洋式のものがところどころに設置してあるのでいい感じです。 この宿の歴史・特質はホームページによく語り尽くされているので、ちょっと長くなるが引用させていただきます。 (写真はHPより) 「遊佐一族は「遊佐七騎」として越後上杉家の枢軸にありましたが、世の趨勢に現在の山形県遊佐町に渡り、後にこの地に移って寛永9年(西暦1632年)大規模な家を建築して湯治人宿をはじめました。これが「ゆさや」の起こりです。後に当主 遊佐勘左衛門は、伊達藩に丸銭13貫の献納をした功により、湯守りに称ぜられ延喜式内温泉神社を祭り、当地でもっとも古い「滝の湯」の管理をして今日に至りました。 木造モルタル2階建て(2000年10月に国の登録有形文化財に登録されました。) 文部大臣の諮問機関の文化保護審査会は平成12年7月18日、全国140件を登録有形文化財に指定するよう答申した。 東北では、ゆさや本館と土蔵等5ケ所、9件が指定された。 ゆさや本館は、昭和11年に改築された建物で、木造二階建て、入母屋造りのかわらぶき屋根、表側の梁は建物の端から端まで12間半の一本丸太、ロビー付近の柱は太い栗材を使用している。昭和37年に改造されているが、柱の位置等は変わっていない。昭和11年の改築の前は、明治23年に付近の出火で類焼したことから新築されたが、この焼失した建物の写真を見ると、現在のものと間取り等は変わっていないように思われる。つまり建築様式及び構造は江戸時代から殆ど同じと考えられる。 この地区は純防火区域となっており、立て直す時には鉄筋にしなければならないことから、ゆさやとしては貴重な現在の木造旅館を大切にし、できるだけ永く旅館として使用していきたいと考えている。」 次に、湯の話。 「ゆさやのうなぎ湯は「大八州遊記」やその後の「撫子日記」等に紹介され既に江戸時代中期には世に知られていました。 地下65メートルから99.5度で湧出する芒硝泉でアルカリ泉とも呼ばれます。天候や気温の変化で色がエメラルドからカラス色へと日によって変化する神秘の温泉です。 肌ざわりは滑らかでソフト。ぬるぬるした感触がありますが、これが肌を良くするのに効果があります。うなぎ湯と呼ばれる所以です。」 男性用浴場は10人位入れる大きいエメラルド色の湯の張られている浴槽と、2人ほどが限界の、どろりと黒い「うなぎ湯」です(写真右奥)。 大きい浴槽のほうはさっぱりとした湯で、うなぎの方はなんというか・・極端にいうと片栗粉のとろみの中に飛び込んだ感じです。 料理にも力が入っていて、品数ではなく中身で勝負!という感じがとてもよいです。 刺身の質もいいし(これが大事ですよね)、本格的なビーフシチューもついたりして、一人で泊まってるのにこんないい料理を部屋だししてもらっていいの?と申し訳なくなるほどでした。 昭和11年の建物を味わうもよし、湯めぐりの拠点にするもよし、宿の人たちの応対も気持ちよい。かなりいい宿だと断言できます。 ★★★★☆。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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