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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:海外情報
清朝、そして満州国の「ラスト・エンペラー」、皇帝溥儀の故宮。中には戴冠式の部屋などがそのままに保存されている。
この写真を紹介する前に、ちょっとウィキペディアで満州国と溥儀についておさらいしよう。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 満州国は元首として、滅亡した清の最後の皇帝愛新覚羅溥儀を迎えた。満州国は国家理念として、満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満州人、満人」による民族自決の原則に基づき、また、満州国に在住する主な民族による五族協和を掲げた国民国家であることを宣言した。国民国家は当時の世界の潮流の一つであった。 しかし現実には満州国は満州事変(1931年)以降この地域を実効占領している日本の関東軍の強い影響下にあった。当時の国際連盟加盟諸国は、「満州国は日本の傀儡政権であり、満州地域は中華民国の主権下にある」とする中華民国の立場を支持して日本政府を非難した。1945年8月15日の第二次世界大戦の日本の敗戦により満州国は崩壊する。「満州国」は現在の中華民国(台湾)や中華人民共和国では「偽満州国」あるいは「偽満」と呼ばれ、正当な国家ではないとしており、この地域一帯も「東北」と呼んでいる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 中国ではそもそも満州国を国家として認めていないのだから、皇帝などあろうはずがない。したがって宮殿もないので、「偽の故宮」ということになる。 私としては「偽」故宮と言われるたびに大声でなじられている気分になる。 さらに入口には「勿忘9.18(柳条湖事件)」という江沢民の直筆の巨大な石碑。 瀋陽にも同様の石碑がある「9.18記念館」が建てられている。 中国のあちこちに建て続けられる反日感情を煽る施設の数々・・。 日本の前にアヘン戦争やアロー戦争でさんざん苦しめられたイギリスには一言も注文をつけていないのに、日本には執拗に過去の罪業を攻め立てる中国政府って・・。 しかも中国は自分ではチベットを・・。 まあ、その話をするとキリがなくなるので、ここでは置いておく。 故宮は内廷と外廷に分かれ、内廷では溥儀一家が生活を営み、外廷では執務を行った。 こちらは内廷の緝煕楼(しゅうきろう)。 内廷は狭く威厳が足りないということで1938年に新たに同徳殿(どうとくでん)が皇宮として建てられた。溥儀は関東軍の盗聴を恐れ、外廷で生活をすることはなかったという。 パトカーは私を連行するために来たわけではありません インサイダー取引をするお金もありません 次回は室内を紹介する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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