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オフミの温泉メロディ

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Aug 6, 2006
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テーマ:☆仙台☆(1714)
カテゴリ:よもやま話



慶長19年(1614)10月7日、仙台藩に、江戸から徳川家康が大阪(豊臣秀頼)征伐の命令を発したとの書状が届いた。
出陣の日政宗公は、年老いた愛馬「後藤黒」を休ませ、他の馬で大阪に向かうことにしたので、しばし別れのために馬屋の前に佇んだ。

「ヒ、ヒヒーン・・」
後藤黒はもう一度従軍を願うそぶりだったという。

「お前にはもう大阪にまで行く体力はないんだよ・・ここでゆっくり休みなさい」

公は、何度も優しく慰めの言葉をかけた。

「でもストーンズだって、還暦すぎてあんなハードなステージをこなしているではありませんか」

「オトを良く聴いてみろ。その実へろへろではないか。そもそもテクのない奴ばらよ」

「ジェフ・ベックの場合いかがでございましょうか」

「あれは人間ではない。人にかような面妖なフレーズが弾けるものではない。むろん馬でもないが」


このような会話は、なかったことにしておこう。

進軍途中のこと、後藤黒が公の後を追って、馬屋を壊して飛び出し、本丸の東南巽櫓脇の崖から飛び降りて死んだことを公は知った。

公は亡き後藤黒の馬屋にしめ縄を廻らし、永久保存の処置を命じた。
そして、巽櫓下の追廻馬場奥の蠣崎(かきざき)に墓を建てて後藤黒の霊を弔った。

追廻馬場の守護神となっていた「後藤が墓馬上神」は、明治18年陸軍の命令で、青葉区片平1丁目の良覚院庭園脇に遷宮し、社名も「馬上蠣崎神社」と改められている。

          (参考 「独眼流政宗の素顔」 逸見英夫)

・・ああ、後藤黒。





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最終更新日  Aug 20, 2006 08:50:57 AM
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