|
テーマ:☆仙台☆(1714)
カテゴリ:よもやま話
慶長19年(1614)10月7日、仙台藩に、江戸から徳川家康が大阪(豊臣秀頼)征伐の命令を発したとの書状が届いた。 出陣の日政宗公は、年老いた愛馬「後藤黒」を休ませ、他の馬で大阪に向かうことにしたので、しばし別れのために馬屋の前に佇んだ。 「ヒ、ヒヒーン・・」 後藤黒はもう一度従軍を願うそぶりだったという。 「お前にはもう大阪にまで行く体力はないんだよ・・ここでゆっくり休みなさい」 公は、何度も優しく慰めの言葉をかけた。 「でもストーンズだって、還暦すぎてあんなハードなステージをこなしているではありませんか」 「オトを良く聴いてみろ。その実へろへろではないか。そもそもテクのない奴ばらよ」 「ジェフ・ベックの場合いかがでございましょうか」 「あれは人間ではない。人にかような面妖なフレーズが弾けるものではない。むろん馬でもないが」 このような会話は、なかったことにしておこう。 進軍途中のこと、後藤黒が公の後を追って、馬屋を壊して飛び出し、本丸の東南巽櫓脇の崖から飛び降りて死んだことを公は知った。 公は亡き後藤黒の馬屋にしめ縄を廻らし、永久保存の処置を命じた。 そして、巽櫓下の追廻馬場奥の蠣崎(かきざき)に墓を建てて後藤黒の霊を弔った。 追廻馬場の守護神となっていた「後藤が墓馬上神」は、明治18年陸軍の命令で、青葉区片平1丁目の良覚院庭園脇に遷宮し、社名も「馬上蠣崎神社」と改められている。 (参考 「独眼流政宗の素顔」 逸見英夫) ・・ああ、後藤黒。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[よもやま話] カテゴリの最新記事
|