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カテゴリ:ディープ・パープルファミリー解説
第4期ディープ・パープルの数少ないマトモなライブ音源です。 1975年6月から76年7月パープル解散までリッチー・ブラクモアの後任ギタリストとして在籍したトミー・ボーリン。 パープルの看板ギタリストだったリッチーと何かと比較され、「カム・テイスト・ザ・バンド」は売れ行きが低迷、東京・武道館でのライブでは手を痛めていて満足なプレイができずブーイングを浴びるなど、まったくいいところのなかったパープル時代でした。その後トミーは自分のバンドを率いたツアー先で急死してしまいます。 「本当は物凄くヘタなギタリストではないのか?」 「スタジオアルバムでは、弾けないのをごまかしていたのではないのか?」 と、パープルファンの中にはそう思っていた向きも多いことでしょう。 (私もでした) このアルバムは、ライブでのトミーの実力を伺い知るのにうってつけの一枚です。 「バーン」や「ハイウェイ・スター」など、リッチーのレパートリーにおけるソロのフレーズはやはりイマイチではありますが、「レディ・ラック」や「ゲッティング・タイター」など4期の曲になると俄然良さが出てきます。特にグレンとの相性はバツグンで、この2人の打ち出すファンキーなリズムはディープ・パープルに、確かに新しい魅力をもたらしています。 また、トミーのアルバムから「ザ・グラインド」という曲(確かオリジナルでは「ホームワード・ストラット」と言った)を披露していますが、ここではジェフの「ワイヤード」のようなパープルを味わうことができます。こういう曲はリッチーには絶対できないでしょう。 トミーはジャズの得意なロックギタリストなのです。 グレン・ヒューズに「レイジー」のようなベースは弾けるのかと思いきやこれまた器用に弾きこなしているし、4期パープルも、「トミーやグレンがまともな状態であれば」かなりのものだったことがわかる記録となっています。 「トミー・ボーリン・ソロ」でスケールの大きい、奔放なギターワークを見せるトミー。 このコンディションで武道館ライブができていたら、日本での評価は大きく違っていただろ うに・・。 ★★★★☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Dec 18, 2010 09:08:28 AM
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