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カテゴリ:よもやま話
先日、仕事の関係でカンボジアからのお客様を平泉にご案内した(注:私の仕事は「観光関係」ではありません)。 世界遺産、アンコール・ワットはちょうど1100年代初頭、中尊寺と同時代に建造が始められており、また平泉自身も平成20年7月に世界遺産の指定を目指していることもあって、客人にも非常に興味深くご覧いただくことができた。 しかし、中尊寺、毛越寺ともにいかにもありがちな写真(下の二枚。たはは・・)を撮ってしまったので、文章で補強しないとならないが、新たに文を起すだけの素養もないので、「平泉」のパンフレットから少し引用させていただく。 「12世紀、藤原清衡は中尊寺を造営、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院と、父子三代、100年にわたって仏教による平和な理想郷を建設した。 平泉はまた、薄幸の武将源九郎義経の終焉の地である。平家の公達を西海に沈め、輝かしい戦跡をおさめた一代の英雄は、一転兄頼朝の反感をかうところとなり、追われる身となって平家に落ちて来る。 秀衡の死後、後を継いだ四代泰衡は鎌倉の圧力に耐えかね、文治5年(1189)義経を攻める。弁慶ら主従の奮戦むなしく、ついに妻子とともに自害する。ときに義経31歳。 写真の金色堂の須弥壇の中には、三代秀衡までのご遺体と、四代泰衡の首級が治められている。 内部は撮影禁止であるが、堂内には、本尊阿弥陀如来を中心に、11体の仏像が三壇に安置され、堂の内外はすべて漆に金箔を押し、柱や須弥壇には金銀宝珠がちりばめられている。 次の写真の毛越寺は「吾妻鏡」に「吾朝無双」とうたわれた霊地であり、かつては「金銀をちりばめた紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くした」という伽藍が立ち並び、極楽浄土を地上に表現したという庭園が造られた。 今、建造物のすべては消失したが、浄土庭園と呼ばれる大泉が池がゆるやかな曲線を見せている。」 ところで、この地域にはこういう「わんこそば」の形式だということを始めて知った。 写真は中尊寺と毛越寺の間、国道沿いにある「泉橋庵」。 どんどんそばを放り込まれる盛岡方式と違って、自分のペースで食べていけるのが嬉しい。 こういうそばって、薬味の種類が多いのも食欲をそそる。 全体に、なかなかのお味でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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