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テーマ:温泉について(1667)
カテゴリ:岩手の温泉
松雲閣は昭和2年から営業している総檜造の重厚な旅館でした。
老朽化が進み、平成14年に営業を停止、そしてなんと、来年には取り壊しが決定しているといいます。 イーハショップという宮沢賢治にちなんだ商品を販売しているサイト(商品揃えも記事も見事です)で、この旅館の貴重な公開画像を紹介してくれています。 私がこの宿に泊まったのは、おそらく昭和60年前後だろうと思われます。 これに先立ち、父と私が花巻温泉「紅葉館」に泊まったときのこと。 急な夕立に降られ、傘も持たなかったので、急いでホテルにかけ入り、やれやれと部屋の窓からバラ園のほうを眺めたとき、霧の中に非常に風格と存在感のある和風旅館が見えました。 それがあまりに美しい佇まいだったので、私たちは「一度あそこに泊まってみたいものだなあ」、などと話ながらビールを飲んだ記憶があるのです。 そしてその2年後くらいに、確か八幡平に行った帰り、この宿への宿泊が実現したのでした。 そうそう、庭園の手入れが見事で、窓を開け放ちながら茶をすすっていると何とも言いがたい清清しさと気持ちのゆとりを味わうことができたものです。 一方、風呂や廊下などの狭さ暗さなど、我慢すべき点も少なくはなかったのですが・・。 宮沢賢治は「一九三一年度極東ビヂテリアン大会見聞録」の中でこの宿を登場させているので、ちょこっとだけご紹介させていただきます。 「・・・ 見ると第一通は英文で温泉へ宛てた四十人宿泊準備の依頼状で特に食事は白米の飯と大根の味噌汁と香の物だけを仕度してくれ但し価格は一日十円以内といふ。第二通は仲間へ出した活字の通知状であった。 「第十七回極東ビヂテリアン大会。一九三一年九月四日正午より。 日本、東北本線花巻駅乗換、花巻温泉紅葉館にて。 協議事項、各派合同による新運動の策戦について。会員は前日迄に同所着のこと。」 といふのであった。 それから松雲閣へ帰って一つ風呂を浴びてやれといふ気持ちで更衣室に行くとこれは又さっきの異人が宿から縞の唐桟の袷を着せられてかんかんと椅子に座ってバイプをくわいて時事新報を見てゐたもんである。 筆者は思はずハローとやった。すると向ふは落ちついて"Well," と来たもんだ。筆者はちょっとむっとして顔をそむけた。 すると向ふが意外にも「アナタオ湯オハイリゴザイマセンカ。」と云ったものだ。」 やっぱり惜しいなあ。松雲閣・・・。 どこかに移築して欲しいとも思うが、維持費もかかること、無責任なことはいえませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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