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カテゴリ:その他の東北の温泉
恐山から下風呂に向かう途中、薬研温泉郷に折れる道があり、思いのほか近くだったのでちょっと寄り道していこうと思い立った。
■◇■◇◆◆□ この温泉が『薬研』と呼ばれるようになったのは江戸時代初期のことで温泉の湧き出る場所が昔、医者が漢方薬種を細粉する器具の「薬研台」によく似ていたことから、やげんの語源になったものです。 その昔、元和元年(1615年) 大阪夏の陣で豊臣方に味方した城大内蔵太郎という武将が大阪城落城の三日前に武運つたなく徳川方に敗れ追手を逃れて海路流れ着いたところが大畑川河口付近 (孫次郎間=旧大石)でした。さらに残党狩りの目を逃れて陸路大畑川をさかのぼり、安住の地として温泉の豊富なこの地をみつけ『薬研』と名づけたと言われ ています。 初代の湯守り役は城大内蔵太郎、二代目の生仁佐衛門は、寛文七年(1667年)28代南部重直公から湯守別当命ぜられ、以来明治まで12代にわたって勤めています。 また薬研には豊臣秀頼公持仏の薬師如来像を温泉の守護身として安置している薬師堂があり、毎年7月に薬師堂大祭と丑湯まつりの合同祭典が行なわれています。 薬研温泉は、昭和43年7月下北半島国定公園に指定されました。(薬研温泉Hpより) □■◇■◇ □■◇■◇ □■◇■◇ ここが薬研温泉であったか・・。 私の小学生時代の記憶とはいささか違っていた。 深山幽谷の一軒屋だと思っていたのだった。 それに高原ではあるが旅館が妙に無秩序に建っていて、その雰囲気はあまりミステリアスでも高尚でもないのであった。 その中にあって、道路沿いにひときわ目立つ建物がこの「ホテルニュー薬研」であった。 薬研温泉というと、恐山の影響でどことなくおどろおどろしい印象を持つところではあるが、なんのなんの、新しくはないが田舎臭いところがみじんもない、こざっぱりとしたリゾートホテルであった。 大浴場と露天風呂は離れており、誰も利用していない雰囲気だったのでまずは露天へ。 渓流に面した、かなり広めの風呂で、緑が湯面に映りこんで実に爽快。 ふう~ここまで5時間以上、運転してきたのだ。 いい感じの風呂だ。数ある青森の露天のなかでも、きっとかなり上の位に属するに違いない。 そしてさらにいいのが内湯。 なにしろ、日当たりのいい大浴場に横たわる総ヒバ作りの浴槽が嬉しい。湯船のふちからは透明でさらりとした湯がじゃんじゃんとかけ流されている。 表示を見ると、泉温が高めのため、加水はされているものの、循環は一切していない模様。 この風呂は気持ちがいいなあ。 私は今、緑を眺めながら頭を洗っている。 本来は宿泊して、じっくり味わうべき地であり、宿なのかも。 山の中でもあるが、大畑港からは非常に近いので、海の幸も十分に期待できる。 活きのよいイカや、あの大間のマグロを食べられるコースもあるようだ。 楽天トラベルで予約可能。 ここは、オススメかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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