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テーマ:相撲(1784)
カテゴリ:よもやま話
大の親方が、なにを弟子にヘーコラしているのか。
■◇■◇◆◆□ 大相撲の横綱・朝青龍と連日の交渉をした師匠の高砂親方は10日、交渉をいったん打ち切ることを決めた。同日の交渉が不調に終わったためで「情けないね」 という弱音もこぼした。高砂親方は、Tシャツに半ズボン姿の朝青龍を見て、会見が出来るかもしれないと言った前日の見通しについて「私の判断が甘かった」 と語った。(毎日新聞) ■◇■◇◆◆□ 朝青龍は悪質なかたちで社会のルールを破り、相応のペナルティを受けたのだ。 角界追放でもおかしくないのだが、再起のチャンスを与えた温情処分とも思える(謹慎処分というものが人権侵害になるのではないかという疑問はある)。 しかしそれで引篭もるというのは、もはや力士の最高峰たる資格を喪失しているということだろう。 高砂親方が気を使いながら弟子の家に日参している姿をみていると虫唾が走る。 先生が生徒や親に極度に気を使わなければいけない現代社会の縮図を見ているようだ。 診断書をもって、理事会にモンゴル療養を諮ろうとした判断力もワヤだった。 と、私と同じような感想を持たれる方も多いだろう。 まあ、確かに高砂親方にも、そういう情けない姿を晒さなければならない事情があるのだろう。 朝青龍は相撲界のドル箱であり、相撲人気を支える存在であることは間違いないわけで、協会からも、おそらく「表面的には厳しい態度を通せよ、だが、絶対に逃げられるなよ、そこはお前の甲斐性でなんとかしろYO」的な暗黙のというか「暗黒のお約束」があるに違いない。 万一、朝青龍に廃業でもされたら、親方の角界生命はなくなるのだ。 それだけに朝青龍より、「精神面で追い詰められた高砂親方」のほうが心配になってくるのであった。 ふんばれ朝潮! ・・朝青龍などは、顔を見るのもイヤだ。 ちなみに、なにかのささいな落ち度を見つけてマスコミが扇動し、一般人まで参加して袋叩きにするという「生贄社会」、「吊るし上げ社会」が進展しており、私はそれを憂慮してはいる。 今回の事案はしかし、そうしたことと違う視点で見ていかなければいけないと思う。 ことは「相撲道」の本質にかかわることだ。 「相撲」には、日本人がほとんど喪失しかけている「道」という概念を継承していく機能を保持する責務があるからだ。 今回、日本人がいっせいにこの問題に注目しているのは、実はこのことをどう処理するかということが「相撲」の本質的機能に大きな影響を与えるということを感じ取っているからなのだと思う。 「朝青龍、かわいそうだからいじめないで」という次元の話ではないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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