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テーマ:☆仙台☆(1714)
カテゴリ:よもやま話
仙台藩2代藩主伊達忠宗は徳川幕府への尊崇・感謝の印として、1649年東照大権現の仙台勧請を願い出て許しを受け、普請を行った。
仙台東照宮の位置するこの小高い地は、1591年、徳川家康が葛西大崎一揆の視察を終えて江戸へ戻る途中、宿陣されたというゆかりのある場所であるため、社地に選ばれたという。 この地にあった天神社は、1667年、榴ヶ岡に移され、現在の榴岡天満宮となっている。 あっ、そういうことだったのか。 5年の年月を経て社殿が完成。造営に当たった人足は58万人、大工は13万人、総工費は小判2万2千両あまり。 一流の工匠が工事に携わるなど、仙台藩総力を挙げての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。 本殿・唐門・透塀・随身門・石燈篭・石鳥居は国指定重要文化財に指定されている。 昭和53年6月、唐門・透塀の大修理が竣工。昭和55年6月には本殿の修復工事が完了したところである。 (上記は仙台東照宮のHPより編集) 大鳥居は、備前犬島からはるばる花崗岩を運んで1654年に建立されたもの。 そう考えるといっそう感慨も深まる。 格調高さ極まる拝殿。 拝殿と本殿の間には向唐門の中門があり、本殿は透塀(すかしべい)で囲まれている。 本殿に拝殿を石の間で連結した工字形の神社建築様式「権現造」は、本家の日光東照宮において完成形し、その後の霊廟建築や神社建築の規範となったといわれる。 仙台東照宮の構造もこの「権現造」を踏襲していることはいうまでもない。 さらに「仙台市の文化財」から解説すると・・。 ■◇■◇◆◆□ 本殿は,入母屋造銅瓦葺(いりもやづくりどうがわらぶき)で,三方に縁(えん)をまわし,一間の向拝(こうはい)が付く。 正面と側面の桟唐戸(さんからど)は,麻の葉繋ぎの地紋に天女や唐獅子(からじし)の彫刻が施されている。内部は内陣(ないじん)と外陣(げじん)に分かれ,漆塗,金箔(きんぱく),七宝の金具等で装飾されている。内陣には入母屋造,こけら葺(ぶき)で絢爛たる彫刻や飾金具(かざりかなぐ),彩色が施され ている屋形厨子(やかたずし)が安置され,徳川家康像を祀る。 唐門は,一間一戸(いっけんいっこ)の向唐門(むかいからもん)で銅瓦葺(どうがわらぶ き),扉には,鳳凰(ほうおう),麒麟(きりん)の浮き彫りを施している。透塀は一周79.4mで本殿を囲み,銅瓦葺屋根,一定間隔に格子を取り付けた連子窓(れんじまど)を付け,腰壁には桟(さん)をたすき状に配している。「造営承応三天甲午三月十七日」の棟札(むなふだ)がある。 ■◇■◇◆◆□ こういうことを、ソラでいえると、大したもんなんだろうけどねえ・・。 私は、本殿の屋根の瓦のハイセンスな色合い、ビミョーな葺き具合に魅入ってしまった。また完全な市街地にありながら深い鎮守の森が残されており、自然の中を散策している雰囲気も素晴らしい。かなり広い無料駐車場もあるので、クルマでふらりと寄られてもよかろう。 残念なところを一つだけ。 保安のためということはわかるが、拝殿から唐門にかけてフェンスに遮られ、それ越しにしか華麗な建築を鑑賞できないのがもどかしい。 一番いいところなのに・・。 正式に参拝すれば済むこと、と言われればその通りなのだが、ここは仙台の屈指の観光地でもあるので、写真を撮るスポットだけでも工夫していただきたいところだ。 門前町として栄えた宮町の商店街は近いうちに「お宮町商店街」と名前を変えるそうだ。いいことだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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