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カテゴリ:よもやま話
仙台から飯坂温泉に行くルートに、ちょっと凝って、角田―丸森コースを選びました。
角田に行く途中の国道は、いまどき結構危険なつくりです。 阿武隈川の土手の上を走っているのだが、時折ガードレールが切れてポールだけになるのです。 思い切り尻子玉が竦む・・。 ここから車両が転落するする事故は起きたことがないのでしょうか? 雪の日などはかなり危険だと思うのですが・。 角田―丸森―伊達のルートは、今度はすれ違うのに一苦労します。 道が狭い上に曲がりくねっていて、先が見えません。 ときどき膨らんだ路面をみるたび、今度対向車にあったらここまでバックするんだな・・と確認しながら前へ進みます。 私の車の図体もでかすぎるのですが・・ずいぶんと貧弱な国道です。 でも車窓からみる風景は、そんな開発の手が及ばないゆえの美しい渓流・・。 走っているうちに、急にフラッシュバックが私を襲いました。 幼稚園くらいのとき、父の仕事で丸森に同行したことがあったのでした。 確か、父に連れられて、丸森の家に何泊かした・・。 父はそのころ、新進気鋭の書道家でした。 泊りがけで、先輩と書いては批評しあい、書いては批評しあいを繰り返していたのでしょうか。それとも、会の運営について、綿密な打ち合わせをしていたのでしょうか。 私は暇でした。 もてあましていました。 誰もかまってくれなかった。 今思えば、こんな幼子をどうして一人で放し飼いにしていたのでしょうか。 私が川辺で足をすべらせて溺死する可能性を想定しなかったのでしょうか。 まあ、そういう時代なんでした。 誰も余裕がなかった。 衣食たりて危機管理を知るのです。 このときはまだ対岸との間に「舟渡し」というシステムがありました。 私は幼児の知恵を総動員して、その舟渡しさんと仲良くなりました。 舟渡しさんは毎日何回か、いろいろな世間話をしながら、暇さえあれば無料で何度も何度も往復してくれました。 そうだった!ここは幼少の思い出が詰まった重要な地だったのです。 それを頭に丁寧にたぐりながら走っていると、道の窮屈さは不平の種にならなくなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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