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テーマ:☆仙台☆(1720)
カテゴリ:おすすめスポット
菖蒲田浜には、子供の時、よく海水浴に連れてきてもらった。
幼な心にこの「しょうぶた」という名前が不思議で、「勝負田」か「塩豚」のどちらかだろうくらいに思っていた。ここは明治21年に東北で初めて、全国で3番目に開設された海水浴場なのだそうだ。 夏は賑わう10万人規模のこの浜も、なまじ広いだけに、春先は寂しさが感じられる。 かつてこの海水浴場が開設されたことに併せて建てられた、「大東館」という宿泊施設があったそうだ。財界人や軍人などの有人が数多く来館した宿で、あの宮沢賢治も、修学旅行の折に別行動を願い出、この宿に療養中伯母ヤギを見舞っている。父にあてた手紙で、 ****** 「曇れる空、夕暮、確かなる宛も無き一漁村に至る道、小生は淋しさに堪へ兼ね申し候 無意識に小生の口に称名の起り申し候 肥れる漁夫鋭き目せる車夫等に出合ふ度に小生の顔を見つゝ冷笑する如き感を与へられ不快なる心もて塩釜より約一時間両ぴ海を見黒き屋根の漁夫町を望み申し候 波の音は高く候へき。「この町に宿屋何軒あリや。」と聞けば六軒ありと答へられ一軒一軒を尋ねても伯母上を見んと思ひまづ渚より岩にかけられし木の階を登り大東館と書かれたる玄関の閉まれる戸幾度か叩き申し候へど答無ければ宿は他の方かと思ひて家を東の方にまはれぱこゝには戸無くランプの灯赤きに人二人居るが硝子越しに見え申し候 宿主の居る方を聞かんと存じ中のぞき候ところ思ひきや伯母さまにて候へき 今一人は下女にて候へき 不思議さうなる顔して小生を見居りしが甚だ喜ぱれし面もちにてしきりに迎へられ遂にその夜の九時の塩釜発の汽車にて仙台に行く事とし夕食をごちそうに相成りあちこちよりの手紙を見せられ申し候、伯母さまは幾度も幾度もおぢいさんや父上母上のお心に泣きたりと申され候、海は次第に暗くなり潮の香は烈しく漁村の夕にたゞよひ濤の音風の音は一語一語の話の間にも入り来りて夜となりその夜は遂に泊められ申し候 伯母さまはずいぷんやせ申し候 血色はよろしきやうに見え候へども一日の食物は土鍋一つの粥のみと聞き申し甚だ驚き申し候」 ******* 「その夜の9時の塩釜発の汽車にて仙台に行く事とし」なんて想像をかきたてられる。 この時代の仙台行きの汽車といくのはどんなものだったのだろうか。 なお、伯母ヤギはその半年後に死去している。 また、大東館は、風や波によって浸食が激しく、建て替えの話もあったそうだが、撤去されてしまったらしい。 賢治の手紙にも「渚より岩にかけられし木の階を登り大東館と書かれたる玄関」と描写された、そのころの姿が残されていたなら、どんなに趣深いことだったろうか。 ************** 面白い七が浜を回って、美しい松島を見て、料理の美味い奥松島に泊まるってのはどうだろう この宿の過去の記事はこちら 奥松島 漁師の宿 桜荘 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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