|
テーマ:温泉について(1678)
カテゴリ:鳴子温泉郷(宮城)
文治元年、源義経が奥州に難を避けたときに赤ん坊に産湯を使わせた宿ともいわれます。
・・と言っただけでは面白くも何ともないので、姥の湯さんのHPから「義経伝説」を引用させていただくことにしましょう。 /////////////////////////// 出羽の国に入った義経一行は、羽黒山の霊場を訪れたという。山伏姿の一行にはそれが必要で あったのだろう。清川から川舟に乗り、最上川をさかのぼり、合川の津(渡し場)に上陸、難所亀割峠に向かったが、そこには一大事が待ち受けていた。夫人北の方が産気づいたのである。 弁慶の産婆役で何とか男の子を産み落としたが、どうしたことか産声ひとつ上げないのである。 一行は急ぎ鳴子を目指して旅立ち、中山越えして鳴子温泉にたどりつき、温泉の効き目によって 初めて産声をあげたと伝えられている。その湯が、川沿いという地理的条件から「姥の湯」であろうという。正に「義経伝説の湯」なのである。 産み落とした峠にちなんで「亀若丸」と名付けられた赤子と義経の一行は、赤這、鍛冶谷沢を経て、栗原寺にて、秀衡の使者樋爪太郎と共に無事平泉に至ったという。 この物語から、亀若丸の産湯つまり「姥の湯」に変化したものとされる。その後、「姥の湯」は温泉として開湯。文献によると奇しくも1603年、徳川時代幕開けの年であった。 ///////////////////// 「通」好みの宿です。 敷地内に泉質が異なる4つの源泉を持ち、日帰り客にもそのうち3種の湯を提供しています。 旅館部19室、自炊部16室となかなかの規模を持つ宿で、どこから見ても延々と繋がっているように見えます。年月を隔てて、建て増しが繰り返された歴史を持つのでしょう。 ロビーは以前訪れたときとちょっと変わっています。 事務室の仕切りができました。 前はなんだか「日帰り?土曜日だから込んでて、硫黄泉はダメですが」とか居丈高な口調で応対され、日帰りも気が重くなる感じだったのですが、今回はとても上品で親切なおばさまでありました。 「亀若の湯」は誰もがこれで単純泉?と驚く笹にごりの湯。わずかに硫黄臭、かすかにぬめり。 私は湯船ではこの4分の1の円形が一番好きです。 こういうのは、ある程度のスペースが必要なので、自宅ではなかなか作れないでしょう? 湯口のまわりの岩積みに、びっしりと成分が堆積しているのもそそります。 この日もうひとつ、硫黄泉「こけしの湯」。 この浴場を見ると、いつも私は蔵王温泉の典型的な風呂場のようだな、と思うのです。 特に硫黄の成分で洗い場の木の床が、白いペンキを塗ったかのように変色しているあたりや、チョークを溶かし込んだような湯の感じも非常に似ています。 湯は温度調整のためかチョボチョボとして出ていませんでしたが、いかにも鳴子らしい濃厚な硫黄泉を味わえます。 このほか、日帰り客用には重曹泉の露天風呂と、宿泊者専用の芒硝泉「義経の湯」があります。 露天のほうは、男女入れ替えで今回はタイミングが合いませんでしたが、以前入ったときは開放感に欠け、あまり落ち着かなかったような気がします。 「義経の湯」は旅館のパンフでみると幾分風呂場が豪華です。 楽天トラベルでは、湯治部が取り扱われています。 ちらっと廊下だけ見てきましたが、確かに湯治場という感じ。 私にはちょっとハードルが高い気もしました。自分では歳だと思っていましたが、この点では若輩者であるようです。 いつかは必ず泊まるぞ! /////////////////////////// 鳴子温泉 姥の湯旅館 ****** ヤングファミリーならこちら 鳴子温泉 源蔵の湯 鳴子観光ホテル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[鳴子温泉郷(宮城)] カテゴリの最新記事
|