|
テーマ:☆仙台☆(1720)
カテゴリ:おすすめスポット
若林区に住んでいたとき、月に一度はこの定山堀の自転車道を荒浜から井戸浜にかけてサイクリングしていたものだ。
今回はクルマで行くにあたって、駐車場をどうしようかと事前に調べたところ、新しい、格好の施設ができていた! 海岸公園 運動広場・パークゴルフ場と、海岸公園・冒険広場。 井戸浜寄りの冒険広場は、南側の入り口だけ見ると、まるで高級会員制乗馬クラブのようで、ちょっと引いてしまうかもしれないが、心配ご無用、市民に開かれた総合レクリエーション施設である。 乗馬クラブも凄いが、子供広場なども非常に充実している。 私が訪れたときは晴天の休日ということもあって、たくさんの親子連れで賑わっていた。こんなに素晴らしく整備された公園が、市民一般にはあまり知られていないのは不思議なことだ。 詳しくは「百年の杜」HPを御覧ください。 http://www.city.sendai.jp/kensetsu/100forest/koen/oshirase/bouken-annai.html この広場から、貞山堀脇の自転車道に出ることがでるが、残念!ここから井戸浜までの区間が、堤防工事のため平成23年まで通行止め。ここからの景色が、舟入場などがあって最高なのだが・・。 さて、貞山堀の話。 写真は、井戸この貞山堀の歴史由来については、仙台市の発行物「仙台NEW」の記事が優れていますので、そこから抜粋させていただく。 ***** ・・仙台藩の財政を支えた舟運ネットワークの一つである貞山堀は、阿武隈川河口から塩釜港にかけて、仙台湾の海岸線に沿った形で開削されたものであるが、その工事は大きく3つの時期に分けて行われた。 最も古い時期に掘られたのが、阿武隈川河口の蒲崎から名取川河口の閖上(ゆりあげ)に至る区間で、「木曳堀(こびきぼり)」と呼ばれる。 木曳堀の目的は、阿武隈川河口と名取川河口を結ぶことにより名取川・広瀬川舟運と連結し、阿武隈川流域と仙台城下を結ぶ物資輸送路を整備すること、そして、名取平野の新田開発を行うための農業用排水路を確保することであった。 これによって、藩南部の新田開発は大いに進み、米はもとより、阿武隈川流域の木材などの物資が、仙台城下に集結する水運の仕組みが整ったのである。 次に、1658~1673年に開削されたのが、七北田川河口の蒲生から塩釜港までの区間で、「舟入堀(ふないりぼり)」と呼ばれる。これによって、藩北部の穀倉地帯から北上川や鳴瀬川を下り、松島湾、塩釜港を経由し、仙台城下へ米を輸送する舟運が確保された。・・ 最後に開削されたのは、木曳堀と舟入堀の間の区間で、天保年間に作る計画があったが実行されず、実際に工事が行われたのは明治時代に入ってからであった。この工事は、明治維新に伴う士族の救民事業として行われ、1872年に完成し、「新堀(しんぼり)」と呼ばれた。これによって、阿武隈川河口から塩釜港までの全水路が通水することとなった。 ********* つまり、私が今立っているところは、一番新しい明治時代の工事区間のようだ。 それでも、伊達政宗公の頃からすでに事業として始められ、仙台発展の夢と市民の暮らしとともに成長し歴史を刻んできた運河が、今も滔々を水を湛えている姿には感慨深いものがある。 井戸浜(工事区間の終点)までクルマで回って撮った風景。貞山堀の風光明媚、少しは感じていただけるだろうか・・。 この堀と至近距離の公園もできたので、これを拠点に、将来は川面を眺めながら食事ができたり舟遊びができたりという風になると嬉しいが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[おすすめスポット] カテゴリの最新記事
|