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カテゴリ:秋保・作並温泉(宮城)
先日書いた秋保天守閣自然公園についてある別のサイトで紹介することになり、公園側に由来などについて問い合わせをした。
翌日すぐに丁寧な回答をいただいたが、この公園は、先代社長が兵隊を退役したのち、秋保に移り住み、何もなかった土地を買い上げて開墾から始めたものだそうな。 天守閣自然公園の「天守閣」の由来は、当園の敷地内に戦国時代の城跡があることから先代社長が名づけた。 秋保里センターのHPに詳しい歴史記述があると教えられたのでそこをたどると・・ http://akiusato.jp/rekishi/gaikyou.html ******************* この頃秋保郷に・・秋保人としての本格的な人物の記録があらわれる。 「秋保氏」という土着の地方小領主がそれであり、長く秋保郷を支配し中世からの政治・経済の基盤を作った一族の存在が知られている。発祥は、・・平家落人伝説と結びつき、平清盛の子重盛をその祖とする平長基という人物が、当地に落ちのび秋保氏の祖となったといわれている。秋保氏は、長袋の「楯山城」ののち「長館」を本城とし、二口街道の要所要所に館城を配置し敵の侵入に備え、戦国時代のころ伊達氏(政宗以前)に従属した。 伊達政宗が岩出山に本拠を移す頃には、・・山形最上氏に対する二口峠の境界警備という重責を担うとともに、藩政に功績を挙げていた。 ******************** 天守閣自然公園には、その秋保氏の防衛拠点のひとつがあったということなのだ。 また、「市太郎の湯」の「市太郎」は先代社長(故人。現社長の父で天守閣自然公園の創設者)の名前だそうだ。 この里センターのHPを見ていくと、秋保の老舗旅館の成り立ちなどもわかり、実に興味深い。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佐勘への「水戸からの湯治客」だった水戸屋さん 秋保温泉 ホテルニュー水戸屋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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