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涌谷は、藩政時代は伊達騒動で有名な伊達安芸宗重の統治した地ですが、天平時代は東大寺の大仏様建立の際に金を供出した地として全国に知られていました。
天平ろまん館のHPより /////////// 当時、奈良の都では東大寺大仏の造立がすすめられていました。 造立がすすめられるなか問題となっていたのは、大仏が放つ永遠の輝きを、鍍金によって無事完成させられるかどうかでした。鍍金に必要な量の金が集まる見込みのないまま、工事は進んでいたからです。 ・・・そのような中、天平21年(749)に陸奥国での黄金産出が報告されます。 天皇は東大寺へと幸して、「この黄金は、廬舎那仏や天地の神々がよしとされ、お慈みなさり祝福なさって産出したもの」と感謝の詔を発しました。 大仏造立に要した金の量は、全部で10,436両(約146キロ)と記録されています。 産金より1250年を経た現在も、わずかながら大仏には鍍金の痕跡が残されています。 /////////// 天平時代というと、その語感からは、平和で穏やかな時代を連想しますが、聖武天皇が仏教に深く帰依し、大仏建立を願ったのは、災害や疫病が続き、仏の加護を求めるためでした。 天平ろまん館は横に細長い、印象的なミュージアムです。 天平時代の生活文化や、大仏様建立にかかるエピソード、砂金の生成過程などを展示しています。 大仏様の鋳造過程がパネルで説明されていましたが、驚くべき壮大な作業でした。 図で、6段の盛り土になっていますが、このように土を積みながら鋳型を重ね、胴を流し込み、乾くとまた次の段まで土を積むという作業を繰り返していたのです。なんと気の遠くなる仕事でしょうか。私は展示の中でこの製造過程が一番面白く感じました。 さらに、天平時代の身分の高い官人の食事が興味深く感じられました。 食事の原型は今の私たちの和食とさほど変わりがなく、おいしく食べられそうです。贅沢だなと思ったのは、米麹で発酵させたほやのなれ寿司。 百済滅亡により亡命してきた王族たちの服装もなかなか面白く、聖徳太子など日本の皇族の服装もそれらに準拠したと説明されていました。 受付でレシーバーを渡され、音声によるガイダンスを受けることができます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Mar 2, 2011 07:26:22 PM
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