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カテゴリ:その他の宮城の温泉
いつものように遠刈田温泉に向かう途中、ずっと気になっていた鎌倉温泉(蔵王町)に立ち寄りました。
宿のHPより ********************* 11世紀の中ごろ、京都の朝廷から北上奥六郡の支配を任せられていた安倍頼良は、次第に勢力を強め、支配圏を拡大、奥六郡の南境に位置する衣川を越え、陸奥国司の支配と抵触するようになり、朝廷と争うこととなりました。 1051年、陸奥国守に任命された源頼義・義家親子は、いく度かの戦いを続け、出羽山北三郡(秋田県地方)の豪族・清水氏と連合軍を組んで、1062年、奥羽の安倍貞任・宗任兄弟を倒し平定しました。これが「前九年の役」です。この時頼義は、最上・東、両街道の要害となっていた四方峠にこもって、安倍一族を迎え撃ちました。この先陣をきって奮戦したのが、鎌倉権五郎景政という武士だったそうです。 ・・・ 戦いが終わって景政が、当時このあたりで一大集落となっていた平沢で傷の療養をしていると、ある夜、羽山(出羽三山)の女神が夢の中に現れました。 「わたしは、羽山の神の使いであるが、信仰厚いそなたの心をめでて、その傷を治してやりたい、この沢の上流に温湯があるゆえ、心静かに湯治をするがよい」と言って女神は消えました。 景政は、不思議に思いながらも郎党に探させたところ、ぬるい湯がわき出ている沢を発見し、この湯につかると、景政の傷は、たちまち全快したと伝えられています。 以来、この湯の沢を景政の姓をとって「鎌倉沢」と呼ばれ、傷に効く名湯として近郷近在に住む人々の湯治場として現在に至っています。 ***************** なんと前九年の役からの名湯とは! 公道から入った専用道路?の狭いこと狭いこと・・1キロくらいかな?ときどきすれ違い用のスペースはありますが、行き帰りの車がはちあわせるとちょっと厄介です。悪路ではありませんが・・。 それだけにこの宿に着いたときの安堵感はなんともいえません。 山、山、緑一色の中に赤い屋根が浮かびます。こんなところに、昔ながらの湯治宿がそのまんま残っているとは・・うむ~、一見の価値ありです。古い湯治棟とやや新しい目の建物がせまい木製のわたり廊下でつながっています。 この雰囲気がウケているのか、湯に霊験あらたかなのか、旅館の中は客であふれかえるようでした。 フロントの女将さんとおぼしき人はとても感じがよかったです。 そしてお風呂は、・・想像どおり、広くはない風呂場に、8人はいたでしょうか。あきらかにキャパを超えています。 それでもなんとか居場所を見つけてざんぶりと入ってみると、これがなかなか熱い。 客の一人が、「この熱さは青根なみだな~」と話していましたが、確かに・・。 写真は 写真は宿のHPより 開け放たれた窓からは裏山の緑と、かじかが鳴くというせせらぎが見え、湯船に入ってさえしまえば、快適快適・・。 冷鉱泉をマキで加熱しているそうで、入浴感はいまひとつパンチはありません。 ただ、皮膚病にはとてもよく効くそうです。 この界隈は、地形がひろやかで爽快なドライブを楽しめます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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