ありとあらゆる種類の言葉を知って、何も言えなくなるなんて、そんなバカな過ちはしない。
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ぼくは「朝まで生テレビ」という番組が好きで、これが放送される日は徹夜しつつ見ることにしてる。今日も見ている。今日のテーマは「反日騒動と靖国問題」で、これについて言いたいことはたくさんあるけど、それは長くなるので、また別の機会で。急にブログを書きたくなったのは、むしろ「論争する姿勢」について思うところがあったからだ。
今まで、朝生はいつも「こんなんだったらおれが出た方がいいよなあ」って見ながら思っていた。出るべき論点がなかなか出てこないし、切り込み方も足りない。多分同じ事思ってる人って多いし、大体においてそのとおりなんだけど、いざ出てみたらなかなか話せないもんだよなあと、今は分かる。というのは、ぼくはこの一年で論争に何度も負けてるから。もうね、連戦連敗。思い出せるだけで3つ大きな敗北がある。 まず一つ目、これは某テレビ局の面接会場においてだった。履歴書を一瞥して、やり手っぽい面接官はこう言った「なんで素直に弁護士にならないの?」→「法学部で法律の勉強をしてきたが、リーガルマインドは法曹以外の職業にも生かせると思っている」のようなことを言った。面接官は「リーガルマインドねえ」とつぶやいた。帰り道、何か胸に引っかかった。なんであんなつまらないことを言ったんだろ。「リーガルマインドってなんだよ?」「なにを、どうやって生かせるの?」全く具体性を欠いた空虚な答え。そしてその面接は落ちた。その問答が全てだとは思わないが、少なくとも受かる方の助けにはなっていないはずだ。 その質問には、どう答えればよかったのか?帰りの電車で実は思いついた。「弁護士もぼくにとってとても魅力を持った仕事だが、僕一人が弁護士になるよりも、見た人の中から100人の弁護士が生まれるような、そういう番組を作ることに魅力を感じる」。プロの面接官から見てこの答えはどうか分からない。でも、少なくともこれを言っていれば、僕の中であのもやもやした引っかかりはなかった。 次に二つ目、これは飲みの席での話である。やや酔っ払った年上の女性に、なりたい職業はと聞かれ、「弁護士になりたい」といったところ、かなりしつこく「なぜなりたいのか?」「そこであなたの実現したいことは?」(「正義」と言ったら)「じゃあ正義って何?」という類のことを長い時間にわたって追及された。 酔っ払ってたとはいえ、明らかに悪意のある問い方だった。要はおまえはトップ指向で特に主義主張もなく東大法学部に進んで、その上弁護士というお決まりのコースをたどってるだけなんだろ?ということを言いたげで、それは良く分かっていた。しかしその場でぼくは結局あれこれ口ごもって、話はうやむやに終わってしまった気がする。だって「正義って何」を語りだしたら、きりなくなるし・・・。 実はぼくは未だにこのことを思い出すと、激しい怒りにとらわれる。その矛先はというと、その女性に対しても、無いとはいえない。ぼくは「言いたいやつに言わせておけばいい」的な余裕を持つ立場にないただの一学生だからこそ、そういうことに対してしっかり怒るべきだと思っている。でも一番の怒りの対象はやはり当時の自分である。 なぜもっと堂々とその場で答えてやることができなかったのか?自分が入学してからどうやって勉学と立ち向かい、何度も逃げ出しそうになって(というより実際逃げてた時期もかなりあった)、やっと対峙する覚悟を決めて、机の前に向かったのか?その決意は決して生やましいものではない。それをあからさまにうがった態度で接してくる人に対しては、堂々と怒るべきだったし、「正義」でもなんでも何時間でも語ってやれば良かったのだ。あの場でうやむやに話を終わらせた自分、というより、ぶつけるべき鋭い言葉を持てなかった自分。うーん、やっぱり何度思い出しても悔しい。 そして3つ目、これはジュンク堂における思想家・浅羽通明のトークショーの場だった。浅羽といえば、呉智英・大月隆寛とともに戦後民主主義理論の破綻と矛盾を80年代において喝破した人物で、その日もだいたいそのような話をしていた。質疑応答の時間になったとき、僕は手を挙げた。 僕が言いたかったことはおおまかにいえば、「戦後民主主義を否定しすぎて現代日本は露悪趣味に入っている気配があって、そろそろこの辺で戦後民主主義を再評価してもいいのでは?」というものであったが、もう完膚なきなまでに論破された。少なくともその場においては。 まず「あなたにとっての戦後民主主義はなんなの?」→答えられず。「ぼくは戦後を全く否定していない、ただしぼくが否定しないのは『プロジェクトX』の中に出てくる日本人で、いわゆる進歩的知識人や日本国憲法について否定している」→「はい、そうですか・・・」。 言ってみれば赤子の手をひねられた。完璧にかっこ悪かった。何人かの人には同情とも軽蔑ともとれるまなざしで見られた。でも帰り道、よくよく考えてみるとぼくは本当に間違っていたのだろうか?いやいやいや、大体戦後において「黙々と働く職人大衆」と「日本国憲法」を完全に分けるという発想自体十分疑問があるぞ。憲法のもとで思想信条の自由が認められたからこそプロジェクトXが可能という考え方は、むしろ自然なのではないか。しかしもう遅かった。 以上三つの大敗を振り返って、思うこと。ぼくは、刺激的な会話が好きだ。そしておそらく、(多少場を見るようになってはきたが)人と話す時もそのように話すだろう。春風のような暖かい会話は、ぼくにとって退屈だ。だからなおさら、自分が主張したいこと、人からつっこまれやすいことについては、後ではなく普段から準備を怠ってはならない。相手を打ち負かすとか、そのためだけではない。結局その二つのことは、僕の自己実現やアイデンティティーに深くかかわる大事なことである場合が多いからだ。論争は、その場においての即興技術だけではなく、何よりも普段からどんな刀を磨いてきたかが大事だ。そしてこのことは、単純なようで難しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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