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社長室 業務日誌

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2005/05/15
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映画『オールドボーイ』と『Shall we ダンス?(日本版)』を観た。
同時に。

『Shall we ダンス?』を観たのは2回目。
1回目って、話を追いかけるだけで精一杯で、考えながら観られない。
2回目って、以前に見た自分の記憶や思考も辿りながら観られるから、
多くのことを考えることができる。

―――――――――――

自分の中でモヤモヤしていることが、
すーっとまとまっていくきっかけになるような、あることに気づいた。

同時に観たから気づいたのかな。
2作とも「人生の目的」について触れている。

そして、それは奇しくも『キルビル』でも扱っていたテーマだ。

『Shall we ダンス?』では、
28歳で結婚、30歳で子を授かり、43歳でマイホームを得た、
人生順調なマジメ中年男が、何かを見失う。
これでよかったのか、と。

幸せになりたかった、なろうとがんばった、そして、なった。
そしたら、なんだかつまんなくなっちゃった・・・。
バーンアウト(燃え尽き)症候群だろうか。

物語の冒頭では、妻の方が、
「ローン返済のために始めたパートが、楽しくて仕方ない」
と言っていた。これ、きっと伏線なんだろう。

一方、夫は、これまでの仕事をがんばる理由の一つとして、
「ローン返済のために」が加わることに、嬉しさを感じていない。
むしろ、どんどんやる気を失っていった。
「生きている感がない」というセリフにも表れている。

それって、何だろう? 
なぜ、そう思っちゃったんだろう? 

しかし、中年男は、少々不純な動機ながら始めたダンスにはまり、
日々、活力を取り戻す。

なぜ? 

ローンに縛られるってことは、購入・返済する前からわかってたことだ。
だから、いざ縛られてから、ウダウダいうのはおかしい。

しかし、本当に、自分の明確な意思なの? 
といわれるとわからないかもしれない。

ホントに、ホントに、マイホームが欲しかったの? 
もっといえば、本当に、幸せな家庭を築きたかったの? 
いつからそう思い始めたの? と聞いたら、答えられるだろうか。

なぜなら、「幸せな家庭を築く」、「マイホームを持つ」とかいうのは、
かなり、常識的な価値観のバイアスを受けている可能性があるからだ。
何も考えず、無意識に追い求めてしまう類のものかもしれない。

昔、貧乏でした、だからちゃんと暖かい家が欲しい。
とかいうのなら、明確に自分の意思だが。

多分、この登場人物に関しては、明確な意思ではなかったと思う。

でも、ダンスは違う。不純だって何だって、
1レッスン¥2000とかかかるけど、自分で決めたことだから。

同様に、妻にとってのパートタイムジョブは、
夫を助けたいって、自分で決めたことだから、楽しいんじゃないかと思う。

―――――――――――

『オールドボーイ』では、
「復讐を遂げたら、元の自分に戻れるか」について触れている。

僕も、途中から最後にどう回答を出すのか、と考えながら観ていた。

常々、宿敵を倒して、パートナーと抱き合って、The End・・・
という結末に疑問を感じていたからだ。

一体、何のために戦うの? 勝ってどうなるの? 

もし、パートナーと仲良く暮らすのが目的なら、
宿敵なんて放っておくなり、逃げるなりして、
ひっそりと暮らすとか、そういう選択肢もあるじゃない、と。
(そしたら、映画にならないけど・・・)

勝ったり、幸せになったりして、一体どうなるの? 

勝利、そのものが目的ならば、また勝たなくっちゃいけないじゃない。
また”宿敵”を見つけないといけないじゃない。

―――――――――――

幸せになるって、変な目標だなあ、と昔から思っていた。

狭い家でも、貧乏でも、幸せといえば、幸せだし。
いつでもそう思えちゃうし。
人それぞれバラバラだし。

追い求める類のものではないと思うのだ。
追いかけたら、余計に逃げちゃう。まさに青い鳥。

―――――――――――

映画の話に戻ると、
復讐よりも新しい目的が『オールドボーイ』の主人公にはできた。
それは『キルビル』と同じ理由だった。
すっごい、非常に納得する。

『キルビル』では、それをどう描いていたか。
主人公は最後、復讐を果たして、自分も死ぬんだろう、と思っていた。
途中まで、主人公自身もそう決めていたようだ。

が、ラストで爽やかに裏切られて、清々しかったのを、鮮明に記憶している。
皆、駄作とこき下ろしていたが・・・。

人間をここまで描ききっている映画って、なかなかないと思う。
復讐心をバネにして、そこまで強くなれちゃうのね、とか、
なのにラストで意外にコロっと変えちゃうのね、とか、
でも、それはやるんかい~!! って思っちゃう最後とか、
すごくよく描いていると思ったのだ。

―――――――――――

目的って何だろうか?

ある一つの目的にこだわり気味な所があると、
それが一つ、終わってしまうと、えらく空虚感を感じることがある。

僕にも、そんな部分が多分にあり、
何年かに一度、そういう山・谷が襲ってくる。

でも、人間なんて、そういうものなんだ、
だから旅行に行ったり、リフレッシュするんだろ、って思っていた。

―――――――――――

今日、この2作の映画が、とても大きな示唆をくれた。

通常、目的や、目標とは”果たすために存在する”と思われている。
目標は達成する人が、賞賛されたりする。
目標を立てただけでは、誰も賞賛しない。だって、まだ何もやってないもん。

僕も、そう思っていた。

しかし、違うかもしれない。

目的・目標は、果たす・達成するものではなく、
どんどん、どんどん、新しくつくっていく類のもの、なのかもしれない。

さらにいえば、
果たせたって、果たせなくったって、いいのかもしれない。

大切なのは、目的を持つこと/目標を立てること、そのものなのかもしれない。

―――――――――――

よく、目的を持ったり、目標を立てては、全然実行しない人がいる。
お正月とかによくいる。三日坊主とか。

僕は、そういうの、結構、軽蔑してた。
だから、そういう自分も、嫌いな自分の一つだった。

目標を一旦立てたら、
達成するまで、他のことは見ないようにしちゃったり、していた。
欲しがりません、勝までは。みたいな。

しかし、よくよく思い返してみると、
人間が最も輝いたり、美しいのは、
目標を立て、真剣に追い始めた/追っているときではないか。
三日坊主も、最初は輝いている(笑)

そして、真剣に追わなくなると、だんだん輝きを失っていく。

でも、また新しい目標をつくれば、また輝き始める。

前の目標が達成されていても、されてなくても、
新しい目標を追いかけている人は、それはそれで、超OKなのかもしれない。

何も追うものがない人や、過去の目標に”縛られてしまっている”人は、
確かに人間的魅力に欠けて見えるかもしれない。

―――――――――――

過去の目標の成否なんて、どうでもいいのかもしれない。

ほんの少し前までは、
僕は、以前の目標の成果そのものに、目を奪われすぎていたかもしれない。
他人の評価も、自分の評価も。

―――――――――――

僕は、新しい目標・目的を立てた方がいいかもしれない。
もしくは、目標・目的のベクトルを多方向に分散した方がいいかもしれない。

以上






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Last updated  2005/05/18 04:16:32 AM
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