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R25ってスゲーな。 朝に一杯だったラックが昼前には完売してるし。 キヨスクに詰まれた週刊誌の総量を超えてるのに。 ―――――――――――――― でも、あれは、別に新しい情報流通ではない。 つまり、流行ろうが、流行るまいが、どうでもいい。 情報流通には、4つの本質がある。 (1)出し手(who is the generater?) (2)仕組み(what is the motivation for the generater?) (3)掲載物(what type of packages?) (4)流通(how to distribute? ) R25は(4)にメスを入れただけで、あとは変化ナシ。 過去のR社の各誌のように、 (1)(2)に革新的な変化を起こし、 かつ簡単にマネできない、確立された仕組みの上で集まったコンテンツ群、 ならびに、そのコンテンツが集まる仕組みに立脚したビジネスではない。 単純に、メトロのラックを先に取っただけじゃん。 よって、もう一度「スゲーな」を分解すると、 僕としては、 (4)の新たな仕組みを構築した”行動力”には感嘆するにせよ、 その本質には、何も感嘆する部分はない。 なーんだ、Rがやったから、相当スゴイのかと思っちゃったよ★ ―――――――――――――― 個人的意見だが、新時代の情報サービスは、 情報の出し手 =掲載コストの担い手 =直接的なベネフィット享受者 (広告投資を通じた売上Up希望者 or 情報発信の喜びを享受する個人) であるべき。 そうすれば、記者や出版社というプロのバイアスがかかってない、生の情報。 玉石混淆ながらフレッシュな情報流通が実現する。 農協と産地直送の対決、と似てるかな。 つまり、『地球の歩き方』に掲載された情報ではなく、 ボツにされた情報を読みたい。 そういう人もいるでしょ、って話。 そんな情報媒体でなければ、結局、何をどう変えようが、 その本質は、やっぱり、紙(paper)と同じ。 同じことをやっても勝てない。 つまり、同じ(1)(2)をネットに移し変えただけでは勝てない。 紙の可視性に勝てるわけない。 つまり、一生、傍流。 当たり外れの基準も多様化する中だから、玉石混淆でOK。 情報の要・不要については、消費者が自ら取捨選択すればよろし。 情報選択コストが低いインターネットなのだから。 ―――――――――――――― まず、玉石混淆となった上で、 人々がもし望むなら、セレクテッド・コンテンツ(=インテリジェンス) が誕生する、そんな流れが望ましい。というか自然な感じ。 紙の出版物の流れって、そうだったように思うんだけどなあ。 ―――――――――――――― 新しい情報流通の基礎が成立しないまま、 ネクストステップであるセレクテッド・コンテンツに走っても、 それは供給者の論理で勝手にやっているに過ぎない。 収益化も疑問だし、 ましてや社会に幾多とある情報流通手段のうち、確実に主流にはなり得ない。 傍流でいいなら、それでいいけど。 最初から傍流を目指しても、傍流の傍流程度で終わってしまうのら。 最初から傍流を目指すビジネスは、一流の人材が集わないからだ。 以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/07/15 03:57:59 PM
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