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社長室 業務日誌

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2005/09/10
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カテゴリ:カテゴリ未分類

手に入れる前から考えてもしょうがないけど・・・、
失う恐さに打ち勝つには、どうすればよいか? 

方法を、とりあえず、いくつか挙げてみよう。

 (1)喪失感に負けない、強さを身につける
 (2)喪失しないようにする
 (3)見てみないフリをする(=本当に失っていても、気づかないフリ)
 (4)そもそも、失った、なんて思ってない(=自分に嘘をつく)
 (5)超・鈍感になる

―――――――――

誰かの子供がオモチャで遊んでいるのを見ていた。

彼は、新しいオモチャに目を移し、飛びつき、
前に持っていた古いオモチャを放り投げた。
彼は、とても楽しそうだ。

それも一つの方法だな、と思った。
欲しいものをドンドン手に入れていけばいい。
でも、手は2本しかないから、必然的に古いのが手からこぼれ落ちていく。

失ったわけじゃない。手に入れたのだ。

そうだ、そう考える、手もあるな、と。

そう考えると、欲しいものがあったら、
ノータイム・シンキングで貪欲に、手に入れればいい。
そうすれば、あの子供のように無邪気に笑っていられるのかもしれない。
何も恐くないのかもしれない。

―――――――――

でも、彼は、古いオモチャを「失った」とは思っていない。
いや、気づいてない。ていうか、わかってないんだ。

子供だからしょうがないけど・・・、それって、とても薄っぺらい。

ポイポイって。ポイポーイって。次、つぎーって。

そんな感じで、仮に楽しく愉快な人生が送れるのだとしても。
僕は、いいや。やめとく。遠慮する。

まるで、目をつむって、耳をふさいで、自分に嘘をついて、
大切な感覚をマヒさせ、不感症にして、生きているような感じがするのだ。

なぜ、そう思うか。
多分、僕は、もう知ってしまったからだ。

失うということを。

―――――――――

失うということを前提にして、というか、
失うということを目前に強く意識して、ようやく、初めてわかるものがある。

失うことがなければ、失うということ自体を知らなければ、
見えないもの、気づかないものがある。

そんな気がする。

大切な人や仕事、そういったものの価値、意義というか。
どれほど自分にとって大切か。どれほど意義深いものであったか。
そういったこと。

大切な人の価値は、別れや失うことを意識したときに初めて、
等身大になるというか、手触り感がわかるというか、
なぜ、僕に必要なのか、必要だったのか、
ギューッと胸を締めつけることを通じて、その形や大きさがわかる。

相手が、病気や元気のないとき、
いくらスッピンでブッサイクでも、
いつもより余計に優しく慈しんでしまうのは、なぜだろう。

―――――――――

自分の仕事の価値は、退職を意識したときに初めてわかる。

前の会社で退職を決意してから最後の一年。
「これが最後の案件になるかもしれない」
常にそう思いながら、数個の仕事に取り組んだ。
そのときの僕は、前の仕事の面白さ・意義・難しさについて、
そのときの社内の誰よりも、感じることができていたと思う。

―――――――――

さて、失う恐さに打ち勝つには、どうすればよいか? 

結論としては・・・、
勝たなくていい。のかもしれない。
勝つとか、そういう類のものじゃないのかもしれない。

それに、もう、失うことを意識する時点、それよりもだいぶ前に、
自分にとっての存在意義・価値・依存度が決まってしまっているから、
その時点で急に対峙しても仕方ない。

もっと前の時点から、決まってる。
例えば、出会った瞬間から。
例えば、関係を構築し始めるそのときから。

自分にとってどういう存在に位置づけるか、それがカギなんだろう。

依存度をコントロールする、といえばいいのか。

―――――――――

じゃあ、失うことが恐くて、依存度を高めないのは、果たして正解か? 

誰にも何にも依存しないこと。仮に失っても、ちっとも悲しい状態にしないこと。
これが正解か? 

うーん、それって、果たして幸せなのだろうか? 

もう少し、考えてみよう。

以上






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Last updated  2005/09/10 01:38:36 AM
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