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就職活動をするのに、何をしたいか全くわからない学生(22歳)と、 社会人2年目、仕事観の醸成に苦しんでいる後輩(24歳)の、 立て続けに相談に乗った。 こんなとき、僕はどうすべきなのか。 明確なアドバイスなど必要ないし、無意味なんだろう。 なぜなら、答えなんて、当人自身が、心の中に持っている。 今、持っていないのであれば、必ずどこかから生まれてくるわけであるが、 それはやはり、当人自身の心の中から生まれてくる。 だから、僕の役割は、 1、とにかく聞いて、全部引き出すこと、 2、答えが見えない状況といえども、苦しむ必要なんてサラサラない、 という視点に気づかせること、 なんだろう。 それに、自分が出してくる答えは、 そのときに傍にいる人、そのときに自分が守りたいもの・人、 それによって、変わってくる。 なぜならば、 22歳の自分の傍にはいなかった大切な人。 それが25歳の自分には現われているかもしれない。 24歳の自分が大切にしていたもの。 それが26歳の自分にはそうではないかもしれない。 からだ。 人は、変わっていく。自分だって、変わっていく。 自分は、ストックであり、そんな自分が出す答えは、フローである。 日々、変わっていく自分が出す、 その答えは、やはり毎日、変わるのではないか、と思う。 そう、”変わる”んだよ、という視点、 それに気づいてもらうようにするのが、僕の役割なんだろう。 なぜなら、あんまり、他人から、そういう話を聞いたことがないからだ。 ―――――――――――― 自分自身の答えが信じられない、のではない。 答えを出す自分自身が、信じられない、のではない。 答えなんて、出すものじゃない、と思うのだ。 ・・・出ちゃう、っていうか・・・ 大切なのは、フローである答えにこだわるのではなく、 ストックである「自分」に目を向けること、 そのストックは、毎日変わる可能性がある、ということ。 その、変わる可能性がある、という前提を理解したうえで、 ある答えを、”とりあえず(?)”出していく、ということ。 しかし、出した答えにこだわり過ぎる必要がない、ということ。 なぜならば、フローを生んだストックである自分が変わっていくのだから。 ただ、 「答えを出せない奴は。バカかも」 「自分の答えを出して、いきいきとしている奴が、いけてる」 「うじうじしてる自分は、いけてない」 とか、世間が作り上げたバイアスを、 自分にかけて、無理やり出しているかもしれないのだ。 「答えは、出すもの」という、バイアスがかかっているのだ。 そんなもの、ウソだ。そんなものに負けるな。 ―――――――――――― 就職活動は「答えを出せ」といわれる環境下で、ある答えを出す。 部署異動の希望ヒアリングも、同じ。 メッチャ、バイアスがかけられている。 たかだか22歳の若者が。 たった一年の間に、ある仕事観・人生観を紡ぎ上げろ、という。 そんな薄っぺらい仕事観を元に、人生を組み立てろ、という。 そんなの、そもそも、リクルートがつくり出した ”妄想” に過ぎない。 毎日毎日、慣れない仕事に追われ、 自分のことすら省みるヒマがなかった24歳の若者が。 たった数日の間に、「行きたい部署の希望を言え」に解答しなければならない。 んなムチャな・・・。 自分が、どこで、誰と、何を、どのように、将来何をするために、 ”活動” するのか/すべきなのか、については、 就職活動のときだけ考えるべき事柄ではなく、 本当は、常に、毎日、毎日、考えるべきものだ。 本当は、毎日が就職活動であり、毎日が自分の行きたい部署探し、 つまりは自分探しなのだ。 ―――――――――――― だからといって、 そしたら、何を選んだって一緒ジャン、という話をしているのではない。 大切なのは、徹底的に考えること、そのものだ、という話をしている。 考え抜いた末に選んだ答え、それにこだわる必要がない。 それがもし、間違っていた、と思うなら、 速攻で修正/リカバリーすればよいだけ。 しかし、考え抜いていなければ、それがマチガイだった、 と気づくことすらない。 考えてなければ、何も見えてこない。 ―――――――――――― 答えを出す、そのことにこだわる必要がない。 答えを出そうと、必死になる必要がない。 答えは、自然に出るものであって、大切なのは、考え続けること。 人は、誰かを、好きになるつもりがなかったのに、好きになってしまう。 それと同じように、ある日、突然、見えてしまうのではないかと思うのだ。 答えは。 フローに惑わされすぎず、ストックである自分に目を向けて。 答えはフローに過ぎず、その答えを出すのはストックである自分。 だから、答えにこだわらず、自分に注目し、自分について考えるべきなのだ。 ―――――――――――― 出せ、といわれた環境で出した答えには、 絶対、必ず、あるバイアスがかかっている、と思った方がいい。 このバイアスに侵されないようにするには、どうしたらいいか。 自分自身で、自発的に、毎日毎日考えることだ。 昨日出した答えを、今日もう一度、反芻してみて考えることだ。 昨日の自分は本当にバイアスがなかったか、と。 そして、もう一度、明日、今日出した答えを再吟味してみることだ。 それでも、なお、自分の心にしみてきた、もの。 それが、多分、本当の答えだ。 ―――――――――――― 答えを出そう、とするな。 悩みを抱えた状態に、人は耐え難い。苦しいから。 その苦しみから単に逃れたくて、 人は、自分に”逃れ”のバイアスをかけて、ある答えを導きがちだ。 そのようにして出した”虚偽”の答えを、追って、走っていってしまう。 その姿は、あまりにも弱く、その足跡は、あまりにも薄っぺらい。 苦しい交渉のときほど、相手も苦しくて仕方ないはずなのに、 自分にバイアスをかけて、自分を軟化させやすくなる。 もう逃れたい一心で。 それと同じだ。 答えが出ないなら、その出ない苦しみを抱えたまま、 問題と向き合え。 相手と向き合え。 自分と向き合え。 フローに惑わされすぎず、ストックである自分に目を向けて。 ストックである自分はどう感じているのか? ストックである自分を育てるにはどうしたらいいのか? 将来のストック形成の観点から、今、自分はどうあるべきなのか? 何すべきなのか? そういう観点を持って欲しい。 ―――――――――――― 僕は、後輩達にそう話しながら、 結局、また、やっぱり、自分に言い聞かせていた。 今、31歳である僕は、35歳の自分を描きながら、 答えを出すのではなく、考え続けるべきなのだろう。 35歳(2009年、今から4年後)にどうなってたいか? 誰といたいか? そのためには、32~34歳(2006~2008年)に何をしているべきか? 今の環境や状況に惑わされず、それを実現する観点からのみ考えて、 手段である何かを、選択し、進めていく、ということだろう。 以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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