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社長室 業務日誌

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2005/12/22
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カテゴリ:カテゴリ未分類

一人の問題と、二人の問題を、ごっちゃにしてはならない。

―――――――――――

二人でやっていくと、問題に数多くぶち当たるだろう。

二人の共通の問題は、二人で共有し、協力して解決すべきだ。
全てを共有し、役割分担し、互いの長所を生かし、短所を補い合い、やっていく。

二人の共通の敵がいたり、共通の課題があったり、
二人が共に責任を負う問題だったり、二人共が問題の原因である場合。

こういった場合は、難しいようで、実はとても簡単だ。
二人が明確にco-workしやすいから。

―――――――――――

むしろ難しいのは、一人が問題を抱えているときだろう。

よく、一人がスタックしたら、
運命共同体である二人ともが、連鎖的にスタックする、という事態をとらまえて、
「二人の問題」として共有し、
解決の場を二人に求めてしまうケースがありがちだ。

そして、その愛が深ければ、深いほど、
当事者である相手方からの要請に応じて、抱え込んでしまったりする。

しかし、それは錯覚だ。

本質的には、一人でいようが、二人でいようが、自分の問題は、自分だけの問題だ。
相手には、なんら、全く関係ない。

自分一人の問題は、自分一人で解決すべきだし、自分しか解決できない。
当事者しかわかり得ない問題を、二人で共有したところで、何も解決の役に立たない。

錯覚している限り、その問題は解決しないし、二人を危機に陥れるだけにすぎない。

―――――――――――

相手が大切だから。
相手とやっていきたいから。
相手を助けたいから。
相手を楽にしてあげたいkら。

時々、当事者でない相手方は、その”情”から、
当事者しか解決不能なタスクの一部を負ってしまう。

しかし、当事者じゃないから、因果関係が不明確だから、絶対に解決できない。
また、潜在意識の下では「自分は当事者じゃない」と必ず、どこかで思っている。
その意識は、問題解決への絶対的意志推進力の醸成を阻害する。

そんな意志状態の人間が、物事を解決できる確率は低い。

一方、負わせた当事者側は、タスクを分散できたという精神的な安心感から、
問題解決への絶対的意志推進力に陰りを生んでしまうことだろう。

結果的に、
「誰も、解決する/できる人がいない」
「解決するまで、死んでもやる、という人がいない」
そんな状態に陥ってしまう。

―――――――――――

錯覚して、二人の問題に落とし込んでしまったとき。
本来、単独で当事者だった人間は、どう考えるだろうか? 

「お互いの協力で、解決できたね」
「お互いの力不足で、解決できなかったね」
という形で、結果の共有を行うだろう。

しかし、そのとき、当事者でなかった相手方は気づく。
その結果について、共有ではなく、強要されているような、いやな感覚を持つ。

そう、成功しても、失敗しても、いやな感覚に違いない。
だって、当事者じゃなかったのに、結果を受け入れなければならないのだから。

これは、恐らく、相手への小さな小さな不信感へと変わっていくだろう。

―――――――――――

絶対に、一人の問題を、二人の問題として、持ち込んではならない。
絶対に、一人の問題を、二人の問題として、受け取ってはならない。

二人の破滅の第一歩にしかならない。

―――――――――――

一人でいようが、二人でいようが、問題の多くは、自分だけの問題だ。
自分で解決するしかない。

二人の問題なのか、一人の問題なのか、必ず、絶対に、明快に分離できる。

よく考えれば、錯覚することはない。

―――――――――――

問題を抱えている側は、状況を話し、共有し、相談して、意見を仰いでもよい。
ただ、冷たいようだが、でも、実質的には何もできないのだ。

解決するのは自分。

助けられるなら、助けたい。代われるなら、代わってあげたい。
でも、無理。それは、妄想。

―――――――――――

ただ、そばにいることはできる。
困り、疲れ果てているその理由が、何なのか、全くわからないし、
わかってもどうしようもないのだが、疲れ果てた相手をただいたわることはできる。
何も言ってあげられないし、何もしてあげられないけど。

解決できるまで一緒にいる。

それだけで、いいんだろう。

もし、一人で解決できないんなら、二人でやっても絶対にダメ。

――――――――――――

では、どちらかの存在自体が原因となって、
相手の問題になっている場合、どうしたらいいだろうか? 

自分を変えれば、曲げればいいのだろうか? 
本当に、それが、幸せなんだろうか? 

少し考えてみたい。

以上






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Last updated  2005/12/23 02:39:11 AM
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