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カテゴリ:超・基本的確認事項
またまた、懐かしいメモが見つかった。 ―――――――― 『 どうせ つき合うなら 自分を高めてくれる 社長とつき合いたい。 』 ―――――――― 僕が、新人のとき以来、ずっとデスクのカベに貼っていたメモ書きだ。 もう、焼けて黄色くなっている。 座席移動の度に、画鋲で刺しなおたので、細かい穴だらけのメモ用紙。 新しい会社に転職して、その会社はカベのないデスクなので、 あと、社長は一人しかいないから、変に誤解されてもイヤだったので、 自宅のメモ帳フォルダに保存して、そのまま忘れていた。 でも、このメモを見るだけで、自分の仕事観・価値観を、 一瞬で、明確に取り戻すことができる。 この言葉をくれた、僕のインストラクター(Yさん)、前の会社。 全部、思い出すことができる。 毎日、毎日、見つめていたメモだからだ。 ―――――――― 僕が入社したてのとき。1997年(22歳)のとき。 僕のインストラクター(Yさん)は、 僕のことが嫌いなのかな? というくらい、 ほとんど喋らず、ムスっとしていて、 机が汚いと「そんなに汚くしてると、全部すてるぞ」と言い、 本当に捨てるような、そんな人だった。 そのときの課長(マネジャー)も、 「日本語のわからない新人とはしゃべらない」 「異星人とはしゃべらない」 というような感じで、僕、イヂメられてる??? みたいな、感じだった。 変な課に配属されてしまった・・・。と思った。 ―――――――― 同じ投資三部という部署に配属された同期は、 Kさんというインストラクターについた。 Kさんは、ITなど最先端・花形の業種を鋭意追い続けていて、 将来はシリコンバレー支社でやりたいんだ、という、 IT系企業が出てくるビジネスプラン発表会とか大好きで、 ネクタイもすっごいカッコイイ系の、とりあえず表参道で飲みにいこう。 みたいな、そんな人だった。 一方、僕のインストラクター(Yさん)は、 俺は、信用できる社長が好きだ。チャラチャラした奴は嫌いだ。 インターネット? あほか! ビジネスプラン発表会? 誰がいくか! 俺は自分自身の足で、汗かいて、飛び込みして、 俺だけが見つけた社長を信じる!! という感じで、ネクタイはヨレヨレで、新橋が大好き!! というような人だった。 誰が見ても、正反対だった。 本人たちも、Yさんは、Kさんを、 つまり同期で、僕の同期のインストラクターを受け容れなかった。 「嫌いや」と平気で聞こえるように言っていた。 僕は、最初、僕のネクタイも、Kさんみたいにピカピカだから、 僕も嫌われてるのかな? と思うくらい、なんでそんなキツイねん~とへっこんでいた。 まあ、一緒に営業に随行して、(連れて行ってくれたのに)、 大切なお客さん(経営者)の前で居眠りしたり、 鼻水たらしちゃったり、鼻をズーズーいわせたり、(花粉症だから・・・) Yさんを激怒させていたのもあるが。 どうして、神様は、この人を、僕のインストラクターにしたのか。。。 でも、僕は、なんとなく嫌いになれず、ついていっていた。 机の荷物を捨てられた時は、さすがに刺してやろうかと思ったけど、 それでも、ついていっていた。 仕事自体は、とても面白かったから、あまり気にならなかった。 この仕事がしたくて入社したから、人間関係はあまり気にならなかった。 というの大きかったと思う。 とにかく、大きい金が動き、すっごい儲かるチャンスがある、 という仕事内容に目がくらんでいた、と思う。 ―――――――― Yさんは一言でいうと、ごっつ、変な人だった。 「Yが、インストラクターか~。あいつ、ひねくれてるからなあ。。。 上司の言うことも聞かないし。一匹狼だし。 おまえ、苦労するけど、頑張れよ~」 「インストラクターで、新人の一生は決まるからねえ。 あんま、Yさんの真似したらだめだよ」 と、別の先輩によく言われた。 だからというわけじゃないが、 僕は、あまり、Yさんの言うことを、メモったりしていなかった。 ―――――――― Yさんが、『ひねくれてる』、その理由を聞いた。 彼自身からは教えてくれなかったので、周囲に聞いた。 彼は、新人のときに大きな投資をした。 出会い頭の紹介案件が、たまたまエラく大きな案件にぶつかり、 何もわからないまま、相手(経営者)の素性もわからないまま、 トントン拍子で案件はクロージング。 彼は、「不世出の天才」「生まれついての投資部員!」 と周囲に絶賛された。 本人も、天狗になってしまった。 でも、実はその話、ほとんどサギに近く、 半年も経たないうちに、相手(経営者)に裏切られるわ、(≒資金回収危機) そのリカバリーのときに上司・仲間に「お前一人のミスだ」と突き放されるわ、 たった一人で回収するために、なんと3年も費やした。 その間、全く新規投資ができず、評価は下げられ・・・。 やっと、そのトンネルを抜けて、新しい挑戦を再開し出した所。 今度は、自分の信じた相手だけに。じっくり取り組みたい。 自分自身で吟味して、吟味して、取り組みたい。 そんな1997年(28歳)という状況だったらしい。 そういわれれば、Yさんのセリフは、そういうのが多かった。 ―――――――― 僕は、あんま、まともに口を利いてくれなかったけど、 当時の課長に、いろいろと教えて欲しかった。 なぜなら、ミスター○○というくらい、当時のスーパースターだったからだ。 最高レベルの案件が舞い込む人脈を持っていた。 彼の周りにいる経営者は、皆、彼を頼ってくるのだ。 その理由を、誰もわからなかった。 ※1997年当時、ベンチャー・中小企業向けバンカーとして、 日本最高クラスのディールメーカーだったと思う。 だから、その彼に、直接、指導請いたい、みたいに頼んだら、 「おまえのインストラクターは、当該世代で最高の経験・実績を持っている。 すごく苦労をしているし、外交の苦労を知っている。 俺のやり方(※)と似てる。 大切なことを一番わかってる、数少ない投資部員だ。 Yの言うことを黙って聞いて、実行すればいい。 それは、俺が言うことと、ほとんど同じことだ」 といわれた。Yさんに対して、周囲の評価とは正反対のことを言った。 ※経営者の信用を獲得・維持することが、 長期的な金銭的パフォーマンスを最大化する、 (=回収作業の労を減らし、最もオイシイ前向き追加 投資ラウンドでシェアを最大化できる、という考え方) ※良質の経営者の信用を獲得すると、 類は友を呼び、さらに良質の経営者が紹介される。 そのポジティブ・サークルを崩さないやり方。 ―――――――― Yさんは、だまされた、その案件から逃げなかった。 また、だまされるかもしれない、この仕事からも逃げなかった。 助けてくれなかった、組織からも逃げなかった。 そんなにスネてるなら、辞めたらいいのに・・・ 僕はマジでそう思っていた。 だけど、一匹狼的に黙々と仕事をしている。 いったい、なぜなんだろう? ―――――――― 一日の終わりには、その日、訪問した企業について、 インストラクターに報告する。 簡単に言うと、 「この会社、投資すべきか。僕はこう思います。なぜなら・・・」 という話をする。 普通の投資部員は課長に報告するが、 新人はインストラクターに報告するのだ。 この会社の競争力がどうだ・・・、とか、製品は完成する・・・。 キャッシュフローが・・・どうのこうの。 米国ではインターネットが流行っている・・・。 隣のシマでは、そんなことを、僕の同期とKさんがワーワー言っていた。 僕の同期は、目を白黒させながら、一生懸命メモっていた。 僕とYさんは、一瞬、その光景を見て、 そしたら、Yさんが、ボソっと言った。 「 どうせ つき合うなら 自分を高めてくれる 社長とつき合いたい よなあ・・・ 」 僕は、その瞬間に、頭の中がグォーってなって、 何かがバチバチってなった。 なんでもいいから、早く、このことをメモりたい。 そう思って、とりあえず、近くにあったメモ帳に走り書きしたのだ。 ―――――――― 仕事観、仕事人生観、物事のパフォーマンスへの考え方、 何のために、何をもってパフォーマンスとするか。 何をもって、生きててよかった、とするか。 出た成果・業績は「フロー」に過ぎず、 自分という「ストック」が出すもの。 だから、フローそのものを追うより、ストック形成こそ追うべき。 当時はわからなかったけど、 今となっては自分の揺るぎない価値観・人生観である、 そんな考え方のスタートが、あのとき始まった気がする。 「儲かる仕事・職業」ということより、 「自分を高められる、そんな相手に多く会える仕事・職業」である。 そのことが幸せである、ということ。 今日負けても、明日必ず来る。へっこんでも取り返せる。 だからこそ、取り返せるような自分をつくっていく =ストックを形成していくこと。 周囲の評価はさして重要ではなく、 自分自身の、自分への評価こそが重要である、ということ。 だから、誰かと比較する観点を持つ必要がない、ということ。 もし比較するとすれば、昨日の自分だけ、ということ。 (自分のストックは自分にしか測れない) そんなことを、個人という考えを、個人と会社・仕事の関係性を、 Yさんは苦心惨憺の3年間で体得したのだ。 それ以外は、実はそんなに重要じゃない、ということを知ったのだ。 ―――――――― その後、Yさんは、僕に対して、ほぼ全ての報告に対して、 業種や規模、そんなことを一切関係なく、 「自分を高めてくれる、そんな社長(経営者)か?」 「損得関係ナシに、付き合っても損はない、そんな社長か?」 「ちょっと不振になっても、必死で支える価値があると信じられる、 そんな社長か?」 と質問してくれた。 新人のとき、叩き込まれたのは、本当にこの考え方・価値観だけだ。 それ以外は、ほとんど教えてもらっていない。 隣のシマでは、僕の同期のノートは天井に届きそうになっていた。 ―――――――― Yさん、本当にありがとうございました。 今も忘れてません。実践してます。 明日も忘れません。実践します。 一生、忘れません。 今は、自分を高めてくれる社長を探すというより、 自分を高めてくれる仕事そのもの、それに対峙する仲間や、 そういう経営者になろうとする気概を持った、そんなタマゴの人と、 つき合えることに喜びを感じてます。 自分のストックは形成できているだろうか。 僕は、自分では少しずつ、できてきていると思っています。 他人がどう言うにせよ、僕はそう思っています。 今でも、Yさんにお会いするときは、やっぱり緊張してしまいます。 今でも、電話口でハイッ! と、僕は気をつけしてしまいます。 また、報告できると嬉しいです。 以上 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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