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社長室 業務日誌

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2006/06/04
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カテゴリ:○歳の○だから

今日は、おばあちゃんと、お母さんのお墓に行った。

おばあちゃんの思い出。

どんどん、どんどん、ハンバーグとオレンジジュースが出てくる。
本当に嬉しそうに、どんどん運んでくる。
僕は、断ることなく、全てを食べ、元気にオカワリをした。
僕がオカワリすると、飛び上がって喜ぶから。
もうイラン、と言えなかった。

お母さんと、おばあちゃんが、よくケンカしてた。
「この子は、お腹が弱いんですから! 多すぎる!」

僕が食べると、おばあちゃんは喜ぶけど、お母さんは怒る。

僕は、どうしたらいいか迷ったけど、
おばあちゃんは、あまり会えない。
お母さんは、明日、また会えるやんか。と整理をつけていた。

妹は、もういらーん、とすぐにどっか行ってた。
お母さんに、「お兄ちゃんは食べすぎやと思う」と言いつけていた。

妹は、気楽でいいなあ、と本気で思ってた。
しかし、まあ、それでバランスとれるなら、いいかー、と思ってた。

――――――――――

『 他人 』 とは、何か? 

自分と異なる存在。
自分と異なる意見。
自分と異なる「目的」。
自分と異なる「手段」。

これを受け入れることが、あるときから僕はできなくなった。
『他人』を許し、共生することを、僕はしなくなった。

小学校のときから、だと思う。
あのときのことは、すごくよく覚えてる。
今でも、夢に見てしまう。

――――――――――

1983年(9歳)の9月。

サッカーをやめた。
お医者さんに行かなくても、よくなったのに。

やめたのは自分の意志ではなかった。
お母さんが泣くからだった。
心配をかけるのは、よくないと思った。
やめると、お母さんが喜んだ。

   ※いや、お母さんのせいにして、逃げただけかも。

でも、みんなに理由が説明できなかった。
自分でも、矛盾してる、と思ってたから。
僕はやりたいんだけど、やらない。
どういうこと・・・??? 

帰り道の幅が、日に日に狭まっていった。
ランドセルが壁に擦れて、ガリガリ言ってた。
ドブの匂いが、鼻をついた。
足に、雑草が触れて、カサカサしてた。
壁と壁の間から、青空が見えていた。

自分は、なんで、こんなとこにいるんだろうか。

ここにいるのは、自分ではない。でも、自分だ。
自分で決めたから、この結果になってる。

でも、自分で決めたわけじゃない。
でも、この結果になってるのは、自分だ。

自分、とは、一体、なんなのか??? 
よくわからなくなった。

――――――――――

自分として、物事の結果を100%受け入れるには、
100%自分の納得感を持ちたい、
100%自分で責任を持ちたい、
100%自分でクオリティ・コントロールしたい、
100%自分で判断したい、
と考えるようになった。

『他人』という要素を、一切、入れたくなくなった。
自分のことなのに、『他人』のせいにしたくなかった。

「自分のこと」と認識してる物事について、
『他人』を信じて、出た結果を、そのまま受け入れる、
それができなくなった。

――――――――――

なんで、そうなっちゃったのかな・・・? 

「自分はできる」と証明したかった。
誰に? 自分に。いや、お母さんにかなあ? もういないけど。

いや、やっぱ自分に、だ。

自分を証明したかった。
「自分は、一人で、できる」ということ。
「自分は、自分のものである」という大前提。
「自分を、信じていい」ということ。

自分への信頼、自分への尊敬。

『他人』の要素が1ミリでも入ると、
それがプラスに転んでも、マイナスに転んでも、
成功しても、失敗しても、
それらの証明にならない、と思い込んでた。

そして、それは、
22年かかったけど、証明できたかもしれない。
だから、今の場所に来た。
証明材料がたくさん欲しくて。欲しくて。

――――――――――

もう、一人でやることに、こだわる必要はなくなった。

第一に、なぜなら、自分が、そう言ってるから。
もう、わかったよ、と言ってるから。
自分を信じます、と言ってるから。
22年かかったけど。

第二に、一人でやることにこだわると、
これ以上、大きな、楽しいことができないから。
恐くても、『他人』という不確定要素を加えないと、もうできないから。

そんな風に思えている、2006年5月末。

――――――――――

でも、恐い。
『他人』のせいにしたくない。後悔したくない。

でも、やらないといけない。ていうか、やりたい。

『他人』と仕事がしたい。『他人』と何か実現したい。

でも、クオリティ・コントロールもしたい。こだわりたい。
『他人』と、自分のこだわりは、共有できるか? 
100%は無理だろう。だって、『自分』じゃないんだから。

――――――――――

過去に対する証明を済ませた今、
現在だけを見る考え方と、将来も見据えた考え方を比較した方がいい。
複数人で関与すれば、その複数人が経験を積む、ことになる。
一人でやったら、一人だ。
100%を得るには、次も、一人でやるしかない。
未来は、生まれない。

しかし、未来を取るために、現在のクオリティを下げていいのか? 

矛盾しているのか? 両立できるのか? 
現在のクオリティを下げず、未来への布石も打てるのか? 

――――――――――

実際に「やる」ために必要な心構えは、3つ考えられる。

(A)
自分が完全に信用する『他人』しか、交えない。
(=『自分』クオリティにこだわる/放棄しない)

(B)
もし『他人』を交えて、物事に対峙し、
仮にミスが生じても、その結果を、粛々と受け入れる。
(=『自分』クオリティにこだわらない/放棄する)

(C)
もし『他人』を交えて、物事に対峙し、仮にミスが生じても、
『自分』でリカバーする覚悟を持つ/リカバーする体制を敷く
(=『自分』クオリティにこだわる/放棄しない。
  但し、新体制に即した『自分』の存在が前提)

ーーーーーーーーーーー

(A)は「やらない」と同義。
やはり『他人』を受け入れない考え方に過ぎない。
変化してない。発展してない。即ち、滅びる。
それに、信用するといいながら、
自分で『他人』をコントロールする前提に立っている気がする。
『他人』はコントロールすることはできない。
『自分』ではないのだから。

(B)は本末転倒では? いや、しかし・・・、
100%ではなくても、80%ならOKとする、その考え方・価値観。
以前は、一切受け付けなかったが、今なら検討に値するかもしれない。
「物事の完成度と、そのための必要エネルギーの比例関係」
「完成度と、満足の比例関係」
が満たされるなら、であるが。
また、経験の蓄積は、きちんと活かせば、
今日の70%を、明日の71%に引き上げる材料となる。
その階段を一つずつ登るということだ。
そうだ、自分だって、最初から100%じゃなかったやんか。

この選択肢は、自分の「覚悟」と「割り切り」次第なんだ、と言える。
許すことが、できるか、という覚悟。『自分』と『他人』を。

(C)は、『他人』を少しだけ信用する、ということか・・・。
いや、信用してないけど、頼ってる。
少しだけ頼ってる、という感じだ。
『自分』と『他人』の境界線がわかりにくい。
結局、全部、『自分』のことと思っている、ということでは? 
発展してないのでは・・・? 

もう少し、考えてみよう。

以上






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Last updated  2010/02/03 11:28:51 AM
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