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社長室 業務日誌

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2006/07/11
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カテゴリ:カテゴリ未分類

最近、仕事は速攻で済ませて(放置して)、
早く上がって、遊びに行ったり、しばらく会わなかった人に会いに行ったり。

何か、新しいことを考えるには、
やっぱり自分の考えを他人にぶつけてみるのがいい。

人生観を固めなおすときで、仕事だけじゃなく、
趣味と恋愛と結婚と子供、つまり人生の話が多くなる。
あんまり3年間、しなかった。めんどくさいし、あんま考えなかった。

でも、今は、それを考えるのが好きだ。

3年間で全部、いろいろ変わった気がする。自分。

少しずつ変わったような気もするし、
最後の数ヶ月で一気に変わっちゃったような気もする。

―――――――――

メディアが変わると、人のライフスタイルが変わり、
世の中全てが変わるような気がするが、しかし、それは違う。

この20年、消費や人のライフスタイルは一切変わっていない。
ファッションが変わっただけだ。

いいか悪いか別にして、本当に、人の生活を変えてしまったものは、
この10年では唯一、電子メールと、携帯電話だけだ。
あと、電子レンジもかな。

インターネット(ウェブサービス)は、人の生活を、まだほとんど変えていない。
店舗さんくらいじゃないか。これは、2000年から大きく変わり始めた。

でも、ユーザ・サイドは一切、変えてない、、かもしれない。

ミクシイは、ちょっと変えてるかも。
でも、メッセンジャーの延長って域から出てない。
もうちょっと、何か、大きく、社会を変えられる、かもしれない。

ていうか、2000年以降、約6年間、
僕達も含めてインターネット・サービス各社は、
変わったようで、ほとんどあんまり変わってない。何も進化してない。
新しくなったように見えるけど、なんにも新しくない。

もし進化してる、と思うなら、それは相当、感覚マヒってる。
その人、パソコンやりすぎって感じ。

―――――――――

コンテンツじゃなくて「広告」が進化しないと、何も変わらない。
メディアが進化した、といえるのは、そのとき、かもしれない。

ドラマの内容が変わっただけ。情報番組の内容が変わっただけ。
あとは、何も変わっていない。

じゃあ、インターネットは? 似たようなもんでしょ。

―――――――――

20枚目の扉は、どうして開かないのか? 
本当は、向こうも自分から開けたがっていた。
助けてもらいたがってたのに。

僕達が、もう一枚、カードを持っていなかっただけだ。
最も大切な一枚を。
その瞬間まで、全然気づいてなかった。
自分は、パーフェクトだと思ってた。

「あなた達も、変わってないじゃないですか。
 あなた達は、僕達を変えられるんですか? 
 僕達のクライアントを変えられるんですか? 
 何が、見えているんですか? 僕達と、どこがどう違うんですか?」

なんだかんだ言っていたけど、彼らは、そう、言いたかったのだ。
自分達と、本当に違うなら、自ら扉を開けてくれていただろう。

僕達は、経営についてや、リスク・マネジメントを、
つまり、コンテンツ/プロダクション・サイドについて
一生懸命語りかけていた気がする。
しかし、そこについては、ほとんど相手も気がついていた。
その変革には、他人(僕達)は必ずしも必要ではないようだった。
一人でできる、みたいな。

むしろ、彼らの方がわかってた。問題は、そこじゃないんだ、と。

本当の問題は、そこじゃなかった。
それが、わかってるからこそ、19枚目の扉までは開けてくれた。
相手は、本当に変革を期待していたのに、
僕達が、その十分な資格を持ってなかった、
つまり、そのときは気づいてもないし、見切ってもいなかった。

2005年秋、20枚目は開かなくて、逆によかった気がする。
だからこそ、やっと気づいた。やっぱりそうだったんだと。

「メディア経営」ではなく、「メディア」そのもの、
情報と人の関係について、が問題だった。

僕達がわかっていなかった。変われていなかった、かもしれない。

――――――――

人と情報の関係を変えていくには、コンテンツの内容ではない。
コンテンツの流通方法、アクセス方法でもない。双方向性でもない。

付属品と思われている「広告」こそ、変わる必要がある。
これが変わらなければ、経済が変わらない。
世の中の仕組みが変わらない。

なんのために、僕達の会社ができたか? これを変えるためじゃないの。

地方でいいものつくってる人より、
東京でカネつかませるのがウマイ人が、なんか売れる。
そいうの、変えたかった。

低コスト。リアルタイム性。コミュニケーション性。
参加者を幅広く、多くできることで、
あんまり見たことのない商品が、山盛り並んでいる状態を生み出せる。
これは「商品広告(告知)」を変える、という本質を孕んでいた。
たまたま、それがコンテンツみたいに、なった。
たくさんの商品広告が集まると、コンテンツになる。
それは、既にリクルートが証明していた。

その一方で、ユーザも、そういう情報を待ち望んでいる、という仮説もあった。

この瞬間、僕達は、情報と人の関係の本質に踏み込んでいた。
だから、一気に進めた、のかもしれない。

その後、そこまで踏み込んだのは、この10年間なかった、といっていいかもしれない。
だから、一気に進めてない、のかもしれない。

―――――

コンテンツ自体には、社会・経済の意志は100%反映されていない。
とある一部の作り手の思いが入りすぎる。
しかし、広告には、社会・経済の意志が100%反映されている。
売れなければ、その広告は消える(打ち切られる)し。

そう考えると、
コンテンツではなく、「広告」に関する情報発信側が変わることこそが、
社会・経済の変革の本質だ。といって、いいかもしれない。

―――――

商品の選択方法、選択眼そのもの、商品情報へのスタンス自体が変わる。
情報というものへのスタンスが変わる。
そして、やっと、情報への時間の使い方、場所、探し方
時間帯、時間の長さ、利用方法、判断基準、判断タイミング、
意思決定への他人の関わらせ方、など、情報に関する全てが変わる。

ここまできて、初めて、ようやくライフスタイルが変わるかもしれない。

それに、そのとき、人は、もっと他人に優しくできるようになるかもしれない。

同じ事実から生じる情報は一つではなく、
また、万が一、同じ情報であっても、受け手の取り方次第なんだ、と。
取り方もバラバラであれば、行動もバラバラになる。
その当たり前が前提として、他人と接することができるようになる。
自分をより、ハッキリと持つようになる。
情報を、より真剣に利用しようとする。
違う意見を、認識・受容できる、ようになるかもしれない。
むしろ、ちゃんと、とりあえず聞いてみたい、と思うようになるかもしれない。

そんな風に、情報と人との関わり方が、一方通行から変わるとき、
そのとき、インターネットは、もっとその真価を発揮できるようになるかもしれない。

――――――

よく議論される、時間消費シェアなんか重要ではない。
人は、素敵な本や、人とか、一瞬の出会いにもかかわらず、
考え方を変えたり、生き方を変える気づきを得るじゃあないか。
それこそ一瞬で。

時間じゃなくて、脳内シェアというか、
心象形成におけるシェアといった、影響力こそが重要だ。

人が、もっと、自分に影響を与えるための情報に出会う確率が、
多くなる、そんな感じ。

インターネット、が、変革者の必要条件ではない、かもしれない。

インターネットが変える/変わるんじゃなくて、
情報と人の関係が変わる、というイメージかな。
それに最適なインフラがインターネットでした、みたいな。
でも、そのとき、本も、テレビも、一斉に全部、変わる。
「使い方」を、人間(利用者)が変える、という感じ、かもしれない。

―――――――

そのためには、もっと経済的に巻き込むことが必要だ。
それに、もう、既に、情報流通に近い人ほど、むしろ、巻き込まれたがってた。
彼らは、僕達なんかよりも限界を知っていたから。
だから、助けて欲しがっていた。
わかってなかったのは、僕達の方だ。まだ、早かった。

おカネが流れてこない、ということは、期待されてない。
何も生んでない。ということだ。力がないということだ。
収益の伴わないサービス運営者は、
いくらチヤホヤ騒がれようとも、冷静に、省みた方がいい。

だから、社会や人に影響力を与えきれない。
その一歩手前で息切れしちゃうんだ。

社会には、生存本能がある。
その生存本能が、力なき者に、影響力を持たせない、
そういうような感じがする。

社会や人を巻き込むには、圧倒的な経済を伴う必要がある。
イデオロギーを超えたコンセンサスを得るには、経済力が必要だ。

カネじゃなくて、経済。
拡大再生産を継続する。そういう意味。
何十年も、それで、多くの人が食べて、生きていけて、
ある程度の幸せが築けるくらいの。

それを生み出せない奴は、社会を変える資格などない。
社会が、まるで、そういっている、ような気がする。

―――――――

そんなことを、誰かが本当に見きり、築き上げ、社会に証明したとき、
20番目以降の扉が、自ら開かれる。
100枚目まで勝手に開かれるだろう。迎え入れられるように。
その方向性で、社会を変えていってください、というように、
暖かく、迎え入れられるだろう。

開くのか、開かないのか、ではなく、
多分、20番目の扉は、必ず、誰かが開く。

あと2年だろう。もう扉の向こう側が耐え切れないだろう。
扉の向こう側は、そうはいっても一私企業だからだ。

そのとき、大して完成もしてない奴が開けるのか、
キッチリ完成して、そいつがスムーズに社会を変えていくのか。
扉は、もう壊れかけているので、
恐らく、ちょっとわかってない愚か者であっても、開いてしまうだろう。

で、それが僕達なのかどうか、
自分の手で、自信満々で、変な気負いもなく、ドアノブをすんなり回し切るのか、
誰かと一緒にドアノブを握っているのか、
気づかないけど、バカ力でドアノブ壊しちゃう形であけるのか、
握り締める誰かの背中を押している何人かの一人なのか、
もしくは、集団の外で、指を咥えてみているのか、
全く、ドアが開いたことさえ気づかないのか。

多分、バカ力で開くことはない。バカには開けない。
社会が許さない。社会は、自分をよりよくする、生存本能に満ち溢れている。
その生存本能が、社会を進化させる力のない者に、その扉を開かせない。

あと、僕がいるから、気づかない、指を咥えてみてる、ということはない。
なんとか、したいなあ。

―――――――

もし、開けるのが自分でないのなら。
まあ、なるべくなら、自分よりも完璧に見切ってて、
かつ優しくて、みんなと仲良くできる、性格いい奴が開けて欲しい。
もし、意地悪な奴が、偶然にも開けちゃったら、最悪だ。

もはや、そこらへんが問題なのだ。開くのは開く。
いい世の中になったら、いいなあ。

以上






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Last updated  2006/07/12 03:29:46 AM
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