テーマ:在宅介護(1591)
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昨日のブログで少し洩らしたように、Rokku は最近レポーターぶりが不調です。
いろいろと時間調整に失敗していて、準備に十分時間がとれないことが大きな原因なのですが、その一つに実は、母のことがあるんです。 母は認知症です。発症はずいぶん前です。というか、医学的に発症といえるのかどうかはよく知らないのですが、おや?と思ったのは、もう7年前のことになります。 思えば、あれは Rokku 一家がアメリカの在外研究から帰ってきた翌年の冬、能登の温泉に一泊旅行に出かけたときのことでした。私たち一家と母で金沢から能登の加賀屋へ回ったのですが、その旅館での夜のこと、寝静まってから母が必死に鍵を探すその姿に、少なからずゾッとしたのを昨日のことのように思い出します。 それ以外はまったく普通な様子ですから、それは一時的なことと言い聞かせ、そのままにしましたが、今から思えば、確かにあれが始まりでした。 どんな病でも、進行とはゆっくりなものなのかもしれませんが、それにしても、認知症とは実にゆっくりと進んでいくもののようです。少なくとも、母の場合はそうでした。 彼女にとって、私たちの存在はいろいろな意味で特別で、普段のいくらか気詰まりの生活のオアシスみたいなところがありましたから、その前の一年間、私たちが不在であったのは、それまでの生活から考えても、母にとってすごく負担だったのかもしれません。 そのことを思うと、すごく辛いですが、しかし、現実問題として、母の症状はだんだん悪くなっていきました。 認知症の最大の問題は、治る見込みがないことですね。今は次第にそうならなくなる可能性について、未来予測的に語られてはいますが、現実、今病気になっている人は、特に母のような高齢者の場合、もうもとに戻ることはないでしょう。やはり、それは、よく言われるように、ルビコンの川を渡るようなもので、もう後戻りはできないのです。だって、幼稚園児と同じぐらいの脳になるとして、その状態から先は老化だけなのですから、よくなることはありません。幼稚園児なら我慢できます。明日は必ず今よりよくなるのですから。彼、彼女には、希望の未来があります。 しかし、母にそういう将来の可能性はありません。あるわけありませんよね、あるのは死のみです。それが生命の必然である以上、それに逆らうことはできません。認知症の最も辛いところはここです。 昔、エイズについて語ったスーザン・ソンタグの文章を読む機会がありました。最も印象的だったのは、その文章が、必ずしもエイズあるいはエイズ患者について語っているのではなくて、むしろ、エイズ患者の周りにいる人々のありようについて語っていたことです。 病にとって一番大切なことは、当人でも、病でもなく、その周りにいる人々にその病が与える影響なんですね。 その意味において、認知症はエイズに似ているのかもしれない。その絶望を、兄の妻、つまり私たちの義理の姉さんは感じたようです。もう限界!という気持ちです。それを彼女が言い出したのが今年の2月でした。 幸いなことに、私たちは兄夫婦のごく近所に住んでいるので、兄夫婦から月に一週間面倒を見てくれないか、と言われたとき、いくらか負担ではあるものの、その依頼を断る理由はありませんでした。幸いなことに、ケイトも喜んで面倒を見ると言ってくれましたしね。 最初の三月の一週間は全然大したことありませんでした。今から思うと、あの頃の母は、まだ至極まともでした。でも、それからは、月を追うごとに悪くなっていきますね。まだ徘徊まではしませんが……。こんな状態は軽いというのだろうなあ、きっと。レポーターの準備には向いていないけど。 なかなかの状態ですよ、でも、これは。認知症の老人を抱えるということは、将来、どの人にとっても、ひょっとしたら避けられない事態ですから、役に立つこともあるかもしれません。そう思うので、ちょっと詳しくお話ししますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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