テーマ:在宅介護(1591)
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日お話したように、母が月に一週間 Rokku とケイトの家に来るようになったのは、今年の三月からです。
最初、母はすこぶる順調でした。なんでこんな程度で、お姉さん(兄の妻のこと)は我慢できないと言い出したのだろう。私たち二人の最初の感想は、それでした。 留守番はできるは、言う事は至極まともですし、何も言う事はありません。私たちの生活も、別に普段と変わることなく、ケイトはテニス三昧、Rokku は普段とまったく変わることなく、仕事にテニスに水泳と、本当に何不自由なく過ごすことができました。 こんな程度なら、一週間なんて何でもないよね。それが私たち二人に共通の感想だったのです。 たぶん、母は緊張していたのでしょうね。もともと、周囲に対してできる限りの配慮をする性質の人ですから、たぶん、精一杯の努力をしていたのではないでしょうか。そういう意味では、実にけなげな人ではあるのです。ケッコウ無責任ですけど。 さて、それで四月はどうだったかと言うと、これが全然事情が違っていました。母は月曜から来るのですが、火曜日、木曜日、土曜日、日曜日とデイ・サービスに行くのですから、実質母と私たちが昼間付き合わなければならないのは、たったの三日、月・水・金だけです。このうち、月曜日はケイトが母に付き合えるので、実質二日だけ、母が一人になる時間があるのです。少なくとも、三月はそれで間に合いました。既に申したとおり。 ところが、四月になると、そうは行かなくなりました。月曜日は大丈夫です。もちろん、問題はありますよ。とにかく準備に時間がかかる。というか、実質、もう、自分で一週間の滞在のために、身の回り品の準備をすることはできません。汚れ物の洗濯もできない状態です。 大正生まれの昔かたぎの女性ですから、自分の物は自分で選択し、身の回りの準備は自分でするものと、思い込んでいます。自分にできないはずがない、ということですね。だから、意識は自分でしようとする。ところが内実が伴わないので、洗濯はできないわ、準備もおぼつかない状態なんですね、本当は。ところが「自分でできる」と言う思い込みだけはあるものですから、話は厄介になります。 本当は、三月もそういう状態だったのですが、私たちがそのことに気づかなかっただけなのですね。だから、四月に来たとき、訳の分からないことを言いながら、一人で来たときに、本当なら気づくべきだったのかもしれません。 しかし、私たちは、母一流のおとぼけなんだ(事実、ケッコウいい加減でかわいい人ですから、そんな粗忽ぐらいはまったく許容範囲だったんです、今まででも)ぐらいに思っていました。無口ではあるけれど、それなりに冗談の通じる、面白い人でしたから。 ところが、それこそ、私たちの思い込みでした。水曜日になると、当然三月と同じように、テニスのレッスン分だけ、ケイトは家を空けます。母は一人で留守番という仕儀になるわけですが、そうすると、夕方からおかしくなってきます。 どこか、訳の分からない家に自分がいるような気がしているらしいのです。そのことは最初、気づきません。普通に話しているように見えるからです。ところが、夕方の話は、どう考えても変です。家にいるわけのない人が来ているようになるのです、彼女の頭の中では。 たとえば、いるはずもない親類の人や、孫などが二階にいるとか、今までいたはずだけど、もう帰ったのか、そんなことを突然言い出すのですよ。 それは、もちろん、今までにもありました。我が家に送っていったら、二階にいるはずもない人が今来ているよ、もうじき降りてくるからちょっと待っててね、と本当にいるかのように言うことだってありましたから。 最初は、涙が出るほど悲しかったけれど、そのうち慣れてきます。たまにはおかしいこともあるよね、とか自分に言い聞かせて、昔の無口でどこか賢者めいた母は時々お留守なのだ、と思うわけです。 ご存知のとおり、男って、基本的にマザコンですよね。母がいとしいのです。ひょっとしたら、日本の子どもは男女を問わず、母がいとしいのではと思うこともたびたびですが、とりわけ男はそうです。母は偉いものなんですね。 それが壊れていくのは、正直辛い。もう、こういうことを書いていても、もう涙がこみ上げてくることはなくなりました。でも、もう昔の母とは違う、そのことを五臓六腑に染み渡る我が身が理解するのには、それなりの時間がかかりましたね。 だんだんひどくなると、お通夜になったり、いろいろです。明日、その話をしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|