テーマ:在宅介護(1591)
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要するに、母が混乱するのは、一人でいるときに妄想がどんどん現実を侵食していくからみたいでした。だから、たとえば、その夜に Rokku がいないとすると、母の頭の中では、まるで私がお通夜に出かけたような気がしてくる。そう妄想が成り立つと、もう止まりません。私たちは行かなくていいのだろうか、そうケイトに聞くことになるわけです。
ある時は、家でこれからお通夜が行われるから、みんながやってくるという妄想に発展したこともありましたよ。 とうとう、私たちは、母を一人にしておけないことに気づいたのです。特に夕方からは絶対に誰かが一緒にいるようにしなければ。そう思うようになりました。 こうして、デイ・サービスに出かける日以外は、原則的に私たちのどちらかが必ず一緒にいることにしました。 ところが、そうしてから次第にはっきりと分かってきたのは、コミュニケーションが成立しないことなのです。 よく言いますよね。認知症のお年よりは、話を聞いてやることである。そうすると、コミュニケーションがとれるようになるんだ。そんなことをラジオで言っているのを聞いた気がします。 たとえば、そういうお年よりは現実には到底ありそうにないものを探そうとする。その話を聞いてやること以外に、私たちにできることはない。だって、話は現実にないものの話なのですから、それを実現することは不可能なのです。ところが、その話を聞いてあげるだけで、コミュニケーションが成り立つのだ、そんなような話だったと思います。 でも、現実には、それはとても困難なことのようです。 たとえば母は、自分の言ったことを聞いてもらい、きちんと反応してくれたかどうかを確かめているわけではありません。ある意味、聞いていなくても、それらしい反応さえすればいい。そういうことなのかもしれません。 しかし、私たちだって人間です。そう、いい加減に相槌は打てませんし、つい真剣に話を聞いてしまいます。そうすると、なかなか捨て置けないことを口にしますから、ついきちんと反論したくなる。そう簡単に、いつでもハイハイと言っているわけにはいかなくなってくるのです。 母の話は、他人の悪口か、お金を取られた話(これ、ホントに多いです)になります。そんな話、ハイハイと聞いているわけには行きませんよ。でないと、本当に話はどんどん自分の都合のいいように膨らんでいきますからね。 やんわりと、しかも軽く否定しつつ、全体にはハイハイという態度で臨む。これははっきり言って、至難の業です。ついマジに反応してしまうんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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