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Professor Rokku のワインの日々

Professor Rokku のワインの日々

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Feb 28, 2008
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 昨日は運動がほとんどできませんでした。会議が長引いて夕方になってしまい、ジムに行く気にはさすがにならなかったからです。
 で、会議の内容がなかなか面白かったので、今日はその話。内容は何かというと、FD(ファカルティ・デベロプメント)といって、授業内容が学生にとって有益であったかどうかを教授者側が検討しあい、問題点に関する情報を共有しあって、互いの授業を高めあおうとする企画です。学生に授業内容を評価してもらうためのアンケートをおこない、その結果はじき出された数値に基づいて、自らの授業内容を様々に検討、次回の授業で改良していくわけですね。平たく言えば、授業に関するQC(クォリティー・コントロール)会議です。
 もちろん、導入時には否定的意見が多かったです。学生に正当な評価ができるのかとか、単位がとりやすい科目やレベルの低い授業など、結局学生の意向に迎合する授業を増やすだけではないのかとか、当然ありそうな否定的意見が大勢を占めていましたし、Rokku 自身もそういう傾向を危惧した一人です。授業に関する検討がオープンになされるのには大賛成だけれど、学生に尋ねるというのは両刃の剣なんじゃないか。学生だって決して褒められたものではないのが現状ですからね。
 でも、この企画が導入されてもう何年にもなりますが、最近になって、やはり学生に聞いてみるのはいいことだなとつくづく思っています。彼らは、当たり前かもしれないけれど、学ぶために学校へ来ているんです。そう見えないことも多々あるでしょうが……。

 こんな話をすると、「大学って変わったんだ!」と思いませんか? ホントに昔とは違いますよ。なぜか? 簡単です。学生が変わったんです。
 学生が勉強しなくなった。
 そんなのは昔だって同じだった、そうおっしゃるかもしれませんね。そうです。昔だって同じだった。でも、昔は、やらなくていいからやらないだけの話で、やらなかったからといって後で困ることにはなりませんでした。だから大半の大学生はマージャンなどして遊んでいても、別に就職に困るわけでなし、ちゃんと社会人になれました。モラトリアムとか何とか言って、「友達を作ればいいんだ!」なんて、親も、うそぶいていられたんです。

 昔は、大学に入るためには勉強をしなければならない、という大前提がありました。その前提をこなしたからこそ大学にいられるわけですから、大学生になったということは、もう既に勉強の下地ができている、ってことなんですね。だから、イザ!となれば、何をどう学べばいいかの、おおよその形は、各人それなりに出来上がっていたんです。
 大学へ行かなくっても事情は同じです。会社に入るためには高校・中学で勉強したという大前提がなければならなかった。有名企業に就職するには、やはり優秀でなければいけなかったんです。その優秀さとはまさに勉強する態度です。いつも工夫をしようとする気持ちです。そういう、勉強するという下地を、みんなそれなりに作ったうえで社会に出て行くというシステムが昔はあったわけです。
 つまり、昔は、みんなその人なりに「真摯に学ぶ」ということを身につけて、その人なりの社会へと旅立っていけたのです。簡単に言うと、みんな勉強したんです。

 で、今はこの大前提が崩れているんです。
 勉強しないというのは、比喩ではありません。本当に勉強しないんです。試験の前でも勉強しない。試験ができなくても何とかなると知っているから。大学にまで行けることを知っているから、勉強しない。
 今でも勉強する子はいますよ。当たり前です。そういう子は、一流大学に行かなければなりません。そのためには合格しなければなりません。だから勉強します。
 もうお気づきかもしれませんが、大学といっても、一流大学は今でも中味はほとんど変わっていません。先生方は昔のまま(だと思います)。なぜか? 変わる必要がないからです。近頃の学生はできなくなったなあ、と言っていればいいからです。それで何も困らないからです。一流大学の学生は、やはり就職に困らないんですよ。
 Rokku も昔公立大学に勤めていましたが、もしあのままあの大学にいたならば、あまり昔と変わらなかったでしょうね。学生が優秀だと、別の大変さはもちろんありますが、それでも自らの研究さえきちんとしていれば、おそらく大きく変わる必要はないからです。

 話がちょっと逸れますが、今の勉強する子どもたちも、それはそれで大変です。一流大学に入るという一つの価値しかそこには残されていませんから。曲者はセンター試験です。二次試験を含めて、結局二回試験に成功しないと、合格という「お印」はいただけませんからね。しかも受からなければ何も残らない。ここが辛い。敗者の気持ちが簡単には克服できないんではないでしょうか。結局、受かるまで挑戦し続けるしかないんじゃないかなあ。

 さて、勉強しない学生たちですが、彼らは彼らなりのあり方で、もちろん大変です。実は、何とかなるのが大学の入り口までだけだからです。後は無理なんです。
 ここ、大事なところです。入り口までだけということは、卒業できないことがありうる、というような簡単な話ではありません。そんなものは昔からありました。問題なのは、来てみたけれど「面白くない!」しか思わない人たちが結構いることなんです。
 要するに「私は何もしたくない」ということがはっきりしてしまう人々ですね。「隠れニート」とでも申しましょうか。言うまでもありませんが、この人たちは働けません。だって、本心は「何もしたくない」なのですから。すぐやめます。もちろん、入った大学もすぐ、あるいは1・2年でやめます。
 お気づきと思いますが、実は、就職して3年以内に辞めてしまう若者が一杯います。心性上、上の二つの事柄は当然関係があると考えるべきでしょう。

 授業でも言うのですが、今の若者たちは潜在的にニートなんです。「面白くない」んです。本当言うと、面白い授業ってないんです。単位がいるから、しょうがなく授業に来て、単位取れる程度の勉強だけして、ぎりぎりの努力で(別の意味での費用対効果だ!)大学を卒業していくんです。
 Rokku は非常勤で国立大学にも集中講義をしに行くことがあるんですが、自分の大学で身につけたノウハウを用いて、できるだけ面白そうに、できるだけ必死に授業をやるようにしています。そのためには自分が面白がっているテーマをぶつけるべきかと思うので、教えて立ち往生しないかと不安になりながらも、それにあえて挑戦します。すると、異様な盛り上がりに包まれるのですね、その集中講義が。「こんなに面白い集中講義は初めてだった」とか言われたりすると、無事にやれてよかったと安堵するとともに、彼ら・彼女らも普段の授業に不満なんだな、満ち足りないものがあって「面白くない」と思っているんだな、ということが分かります。

 「潜在的にニート」とは、もちろん、満ち足りた幸せな子どもたちの言い換えです。彼ら・彼女らは豊かなので、飢えたように努力する必要がないんです。
 でも、面白がるとは経験知です。その経験がないと、ありきたりのアミューズメント以外のもので面白さを経験することができません。そういう意味で言うと、面白さの極北にあるのが授業なんですね。
 「勉強する気にさせる」授業をすること、それは、文科省が言う意味と同じかどうかは知らないけれど、本当に生きる力をつけることなのかも知れんなあ。そう思ったりするんです。これ、比喩じゃありませんよ。
 Rokku にそのことに気づかせてくれたのが、何あろう学生による授業アンケートなんですね。「牛に引かれて善光寺参り」。





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Last updated  Feb 28, 2008 05:43:30 PM
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釈迦楽@ いやあ・・・ 十分運動していらっしゃると思いますよ…
Rokku@ Re:カメラ(03/06) Mike23さん >進化してますね ---…
Mike23@ カメラ 進化してますね
Rokku@ Re:ただいま修行中(02/27) Mike23さん ダンスといえば、学生…

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