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私が笑顔の時。 私が泣き腫らした夜。 私が一人ヤケ酒してる時。 私が起きれない朝。 私が寝れない夜。 私が・・・・・。 私の究極の喜怒哀楽を横で見てきたカレ。 1月 3日 午後4時7分 死去。 平成6年3月。 『もちろんOKなんですが、拝見してから決めても良いですか?』 そんな電話のやり取りをした後、知人の紹介でカレとの初対面を果たした。 離乳食を口周り、鼻周りにいっぱいくっ付けて寝ているカレは 生後3ヶ月にもなるか、ならないかで立派なイビキを掻いて寝ていた。 2年前の4月に流産した私は元旦那との生活に子供は無く、 独立したばかりの元旦那が別居後、生活を再開させる為に私にカレとの出会いをくれた。 子供の頃は大人しいわりに、飛び切りのヤンチャだった。 元旦那と離婚した後も私はカレを手放す事は一度も考えはしなかった。 一人暮らしを始め、カレには随分と淋しい思いもさせたと思う。 ヴィ○ンのボストンに入れて内緒で暮らしている部屋を抜け出し散歩へ出る。 そんな生活を2年くらいしただろうか? ガス代が払えなくとも、電話が止まろうとも、カレのおやつやご飯は欠かさなかった。 現相棒との生活を決めたのも相棒のカレへの優しさが心に響いたからだった。 妊娠中も私の良き散歩相手になってくれたいた。 姫が生まれ、カレにとっては、かなりのストレスではあっただろう。 ハイハイをし出した姫の頬をガブッといった事もあった。 姫のおもちゃは片っ端から取り上げた。 カレは極度のヤキモチ焼きで、独占欲の強い子だった。 それもそのはず、カレは私を一番知っている良きパートナーだったから。 知人の子の中にはカレは私が産んだと信じて止まない子も居るくらいだった。 一昨年の夏から少しづつ体重が減り始めた。 年末に検査に踏み切り、昨年のお正月に胆泥(胆石のようなもの)と診断。 クスリで泥の排出と子供の頃からの皮膚炎を治療する。 すぐに体重も戻り元気に1年を過ごした。 もちろんヤンチャ振りも復活。 年齢も12年が過ぎ今月の30日には13年を迎えようとしていた。 昨年11月終わり頃から気になる体重の減少が見られた。 一昨年の症状も気になり12月に入りすぐに検査をした。 やはり・・・胆泥の溜まり具合が気になる。 体の大きさからいって胆嚢の中の胆泥の量に無理がある。 このままでは内臓破裂にも危険が及ぼす。との診断。 元気な体力があるうちに開腹し泥を取り除こう。とCT検査の結果判断をした。 ただ一つ。 肝臓の脇に気になる血種があるかもしれない。 もし、開腹して肝臓にまで影響を及ぼしていると、その場で閉腹もしくは・・・・・。 そんな最悪な場合の説明も受けた。 難しい手術になるので手術は病院のスタッフに余裕のある1月3日に決まった。 でも、カレは持病の皮膚炎とヘルニア以外は至って元気だった。 12月30日シャンプーをして新年を迎えた。 年越しはカレとの出会いの切っ掛けとなった知人家族がたまたま我が家に泊まりに 来て賑やかな年越しをした。 久しぶりにカレも一階に下りて皆に可愛がられた。 翌日も私の実家の家族が我が家に来て鍋を囲み、カレも一階に下り皆に可愛がられた。 そして今日・・・。 午前11時過ぎ、病院へ行き元気なまま主治医に預けた。 ただの胆泥摘出手術で夕方には迎えに来る事に何の不信感も無かった。 2週間前に診察した時より体重が減っていたのが気になるくらいで・・・。 カレとは元気に再会する事を約束して。 手術開始は13時半頃と聞いていた。 病院の帰り、身代わり不動尊へお参りに行き、近所で昼食をとった。 明日からの相棒の仕事始めの準備にカレの職場へ寄った。 14時38分 病院から携帯が鳴った。 主治医でもあり手術の出刀医からの伝言です。と医師からの電話だった。 内容は、泥の排出は出来る限りしたものの、やはり肝臓に癌らしき腫瘍が 見つかりました。今から腫瘍の程度を探り出来る限りの処置をとります。との事。 それでも半ば私は危機感さえ感じなかった。 カレは元気で別れたから。 なんとなく相棒に電話の内容を伝えると、ん~最悪の事も考えた方がいいのでは?とかえってきた。 え? 何が? 意味解らない・・・。 それから私の中で何か解らないけれど気になって仕方が無かった。 それでも気持ちの中で最悪って意味が解らなかった。 病院への年始の挨拶もしなくちゃだし・・と、病院の側のデパートへ行った。 ついでに化粧品も買ってと、店員に注文をして・・・。 16時4分 病院から携帯が鳴った。 もうお迎えだ~。なんて電話に出た。 『~さん。ダメです。』 「えっ?先生、明日も?」 『ダメです。』 「今も?」 『今は、かすかに動いてます。』 「今~~~に居ます!すぐ行きます!!」 駐車場から一足送れて売り場に来た相棒と姫に伝え、すぐさま病院へ急いだ。 手術室に横たわるカレは、まだ十分に暖かかった。 姫を抱き上げ、私は無我夢中でカレが暖かいうちに撫でさせた。 姫と同じように私の手で育てたカレの存在を忘れて欲しくなかったから 姫に兄妹が居ない分カレとの時間は大切だったはずだから そして、私にとって十分過ぎるくらいのパートナーだったから 開腹の結果、肝臓には小指大から人差し指大の癌が複数あり それが原因で胆嚢近辺を圧迫し泥が溜まっていたのだと言う。 では開腹しない方がよかったのか・・・? いずれ胆嚢は泥によって破裂をする。そして肝臓は癌に冒されていく。 来週になれば姫の幼稚園も始まり、日中はカレは一人で留守番だった。 留守の間に何かが起こったとき・・・。 想像するだけで、一人の時に何かが起こるなんて可哀想すぎる。 ならば、家族全員が休みの今日、カレの運命の寿命を迎えた方が幸せだったのか? しかし・・・手術前の元気さが頭から離れない。 決して病院の医療ミスでも、誤診でもなく本当に難しい病だったようだ。 せめてもの救いは麻酔の効いたままカレは苦しむ事もなく旅だった。 13年にあと27日足りないところで そして、昨夜と同じ私のベットの隣のカレのベットで今静かに横たわっている。 ありがとう。 今まで私の側に居てくれて。 ありがとう。 私のところに来てくれて。 ありがとう。 いつも私を待って居てくれて。 ありがとう。 ありがとう。 私のパートナーで居てくれて。 私は貴方が居たから一人で生きて来れた。 あの時、あの瞬間、貴方が居たから乗り越えられた。 辛い時はいつも足元で笑っていた。 私が元気になると、貴方は私を励ました疲れが出たかのように 体調を崩した。 私の涙を貴方は良く拭ってくれたよね。 忘れないよ!貴方が私のパートナーだった事。 忘れないよ!貴方と乗り越えた、貴方と2人で過ごしたあの頃。 1994年1月30日生 2007年1月3日没 行年12歳11ヶ月 六三 (パグ) ママより。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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