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カテゴリ:クライミング・ダンス・スポーツクラブ
悲しみが深いと、それは痛みに変わる。痛くて痛くて、行き場が無い痛みを胸に抱えつつ過ごしている数日間・・・。 新井裕己氏が、山で亡くなった。いつだって「大丈夫です、僕は死にませんから」と言っていたので、私も彼は死なないものだと思い込んでいた。 不思議なもので、肉体はこの世に存在しなくても、新井裕己氏の存在感は健在だ。 逃げずに、お別れに行った。そして、納得した。どんなに待っても、彼はもう以前と同様の姿で戻ってきてくれることはない。 今日は終日暖かく、日差しが明るく、何もなければ平和なゴールデンウィークの1日だった。つつじが咲き乱れていたが、それを愛でることができない故人を思った。だがすぐに、これは生きている者の感傷だと思い直した。 クライミングを教えてくれたのは、新井裕己だった。小山田大ちゃんや、マネージャーの佐々木千恵さんと引き合わせてくれたのも、新井裕己だった。 時々、夕飯デートをした。あくまで「お姉さん」としてのデートだったが、自分の知っている美味しいお店を得意気に紹介してくれる姿が少年ぽくて、可愛い人だなあと、人間として大好きになった。 その個性の強さゆえ、大勢の敵を作りそうなものなのに、敵になりそうな人物さえ魅了してしまう魅力の持ち主だった。その魅力は、彼の立ち上げたインソールブランド「Laboratorism」というネーミングに垣間見ることができるだろう。自らを実験台にした、破天荒で理論的な人体実験の数々。後にも先にも、実験に自らを投じるクライマー(山岳スキーヤー)は彼しかいないと断言したい。 私たちに残された最初の課題は、彼を失った悲しみの克服だ。彼を愛する方たちが、自分なりの追悼を行なっている。「新井さんなら、これを喜んでくれただろう」と考えることを(黙々と)行い、追悼にしようとしている。私には何が出来るだろうか? 残された私たちは、一生懸命に生きなくてはいけないと思う。一生懸命とは、新井氏ならば「どれだけリスクを背負って生きて行けるか」と言うのではないかと思う。それが、新井裕己の目指した生き方だったのではないかと、彼との会話を思い出しつつこれを書いている。 http://plaza.rakuten.co.jp/rolfing/diary/200602170000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.30 22:58:10
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