|
カテゴリ:お仕事関連
フランスの医師マレーヌ=フランス・イルゴイエンヌが「モラル・ハラスメント」の概念を提案した。最近では、モラル・ハラスメントに関する書物は心理学のコーナーに当たり前に置かれている。それ以前は、精神的な嫌がらせには定義は無かった。モラル・ハラスメントとは故意に精神的な嫌がらせをし、それに対する反省が無い場合を差す。「単なる精神的嫌がらせはモラル・ハラスメントではない。どんな人でも、他人に対して精神的嫌がらせをしてしまうことはある。だが、そういった行為のあとには『あんなことをしなければよかった』と必ず反省するものである。これに対してモラル・ハラスメントの加害者は決して反省などしない。彼らは強い内的葛藤を持っているが、それを自分でひきうけることができない。モラル・ハラスメントの加害者は内的葛藤をひきうけることができず、それを外部に向け、他人を搾取し、破壊することでそこから逃れようとする。彼らの<変質性>はそこにある。」(Hirigoyen 1998) モラル・ハラスメントが実際に起こっていることを言葉で説明するのは非常に難しい。それは巧妙に、言葉やそれが発せられるニュアンスの中に潜むものだからだ。二人の関係を知らない他者にとっては「ただの言葉」にしか過ぎない。「ばかやろう」と言われて腹を立てるのか、ありがたいと思うのか、怖いと思うのか、それは相手との関係が深く関わる。信頼関係があれば、この「ばかやろう」は攻撃ではないことが分かる。 このモラル・ハラスメントをパワーゲームに巧みに利用することも可能である。「セッションといえどもお金の関わるビジネスである」 「ビジネスであるからには、クライアントの言い分を理解しなくてはいけない」 「相互に知り合うためには何気ない会話が必須である」。 どの言い分も常識的で正しい。だたし、その常識に従えば従うほどロルファー自らの尊厳も、ロルフィングの尊厳も奪われていく。何気ない会話において揚げ足を取られ続け、力を奪われていく。大勢が持つ「良心」を期待して絶望する。身体が「近づくな」とサインを出す。これは立派に、モラル・ハラスメントとなるだろう。ここまで来てしまったら、自分で自分を守るしかない。相手は他人を不快にすることに喜びを感じるのだから、その場から離れるべきである。離れない選択をするのなら、自分の感覚を麻痺させて相手に合わせるか、自分も同様に攻撃するかのいづれかになるだろう。 先日、秋葉原で17名が男に刺された。この人たちに、殺人鬼を引き寄せる何かがあったのだろうか?この人たちは、殺される「べき」人たちだったのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.11 01:49:13
[お仕事関連] カテゴリの最新記事
|
|