愛着のあったBARヴェネリーナが閉まってから
わたしが毎朝イタリア式の朝食をどこで取っているのかと言うと、
今のところ2軒、半々の割合で通っています。1軒は何年か前にできたばかりのSORPASSOという店で、
昼はレストラン、夜は飲み屋として営業していて、
いつも外まで人が溢れています。
ベルナルド・ベルトルッチ監督の
最新作“IO E TE”でもロケで使われました。
ローマにはあまり無い、新しい洒落たタイプの喫茶店。
カップッチーノの値段は1,50ユーロと、とても高いです。
仕切っているのは全員女性で、
これもイタリアのBARにしては珍しいと思います。
もう1軒は老舗のOTTAVIANI。
無口なオジさん(失礼、お兄さん)が
おいしいカップッチーノを入れてくれます。
レジには少し耳の遠い、
でもなぜか暗算が速いおばあちゃんが座っています。
いずれのBARにしても、もう何も言わずとも、
カップッチーノとりんごのケーキ、もしくは牛乳クリームのパイが
勝手に出てくるようになりました。
後者、老舗の店の方で、
マルチェッロおじさんの入れてくれたカップッチーノを飲んでいると、
常連っぽいおじいさんが、
「中国人?」と聞いてきました。
まあ失礼な爺さんねー、と思ったものの、
ここはこれから通いたいBARなので、常連が相手ということもあり、
「ニッポンジンだ」と答えてやると、
「わしゃ、日本のキャノンで初めてドルチェ・ヴィータを撮ったんだ」と
言うのです。
で、「シンブン、シンブン」と、
唯一知っているらしい日本語を連発するのです。
どうやら日本の新聞に載ったことがある、と言いたいらしいです。
“LA DOLCE VITA”(1960年、邦題『甘い生活』)という
フェデリコ・フェリーニ監督の映画は知っていますが、
それを「ドルチェ・ヴィータを撮った」という風に突然言われても
いまいち何のことか分からなくて、
「あなたは写真家ですか?」と聞いてみたら、
本人ではなく、同じく常連で
そこでモーニングコーヒーをたまたま飲んでいた清掃局のお兄さんが、
「この人は有名なパパラッチなんだよ」と説明してくれました。
画家でもあり、このBARに飾ってあるいくつかの風景画も
おじいさんが描いたと言うのです。
ドルチェ・ヴィータというのは、
1950年代にローマで上流階級の人々がやって見せた、
豪奢で、だけどちょっと退廃的な日常生活のことで、
芸能人をはじめとする著名人たちが、
毎日ヴェネト通りの高級なレストランで
アンニュイな感じでワイングラスを傾けていました。
これを題材にしたのが映画『甘い生活』です。
そしてその著名人たちのゴシップを
バシバシ写真に撮ったのがパパラッチですが、
イタリア語で正しくはパパラッツォ(複数形はパパラッツィ)。
『甘い生活』に出てくる主人公の友人であるゴシップ写真家の名前が
パパラッツォくんだったことからこの言葉が生まれました。
わたしに「中国人?」と聞いてきたこのジイさんは
有名なパパラッツォだったのです。一旦外に出て、戻ってきたおじいさんは、本と新聞紙を持ってきました。
「これ、わしの自伝。こっちはわしが描いた絵。あんたにあげる。」と
思いがけなくもプレゼントをくれました。
このおじいさんは、
フェデリコ・フェリーニ、マルチェッロ・マストロヤンニはもちろん、
グレタ・ガルボやゲイリー・クーパー、歴代のローマ法王など
さまざまな有名人を撮った、イタリア社会の生き証人なのです。
ローマに来たばかりの頃、
タツィオ・セッキャローリという
パパラッチの写真展を見に行ったことがあって、
それがとてもおもしろかったのですけれど、
わたしが知り合ったカルロじいさんの展覧会も見てみたいなあ。
カルロじいさんが使っていたのがキャノンのカメラだったから、
日本人のわたしは声を掛けてもらえたのです。
日本のカメラを世界に出してくれた先人たちよ、ありがとう。
出会いっておもしろいものだなあ、と思いました。