12月25日はクリスマスと、
子供たちはサンタさんが来るのを待っていますが、
本当はこの日が何の日か知っていますか?現在ではちゃっかり、
イエス・キリストの誕生日とされていますが、
これは4世紀に、
キリスト教が国教化されたローマ帝国において
こじつけられただけのもの。
キリストが馬小屋で12月25日に産まれたなんて、
聖書にはどこにも書いていないのです。
では何の日だったのでしょう?
実は、古代ローマ帝国で盛んであった
ミトラ教の太陽神、
ソール・インヴィクトゥスのお祭りでした。
古代ローマにおいては
この日が祝日であることに慣れていたので、
キリスト教が広まってもその日をそのまま
重要な日として、形を替えて残したわけです。
キリスト教が広まるのと反対に、
ミトラ教は4世紀末にテオドシウス帝によって排斥され、
滅亡の一途をたどります。
しかし今でも、ローマ近郊のオスティア、
そしてローマ市内いくつかの場所で、
ミトラ教集会所の遺跡を見て、
それを偲ぶことができるのです!
サン・クレメンテ教会、バルベリーニ宮、
サンタ・プリスカ教会、サント・ステファノ・ロトンド教会、
チルコ・マッシモ地下遺跡などが有名です。
最近、ようやく20年の時を経て
再び一般公開されることとなった
カラカラ浴場地下のミトラ教遺跡を観て来ました。
現存するミトラ教集会所の中でも最大級の広さです。
ミトラ教は古代インドやペルシアに起源を持ち、
牛を生け贄とするミトラを神とする密儀宗教でした。
ローマ帝国内では2~4世紀に最盛期を迎え、
女人禁制であるため男性、特に軍人層に
信仰されました。
地下の集会場で飲食を伴う秘儀を行い、
信者は7つの階層に分けられ、
最上の地位にある者はミトラ神と同等と
みなされていたそうです。
ここで何が行われていたのかしら…。ドキドキです。
これが想像図。
そしてもちろん上のカラカラ浴場も見学してきました。
ちょうど12月22日から
地下収蔵庫の一部が公開となり、
ここで発見された大理石のレリーフなどを
見ることもできました。
修復の状況により、
前回来た時に立ち入り禁止だった所にも
入れる場合があるので、
何度でも訪れる価値はあります。
ちなみにここは脱衣所~。さて、ここの入場共通券で見られるのが、
アッピア街道沿いのチェチリア・メテッラの墓、
そしてクインティーリ荘です。
クインティーリ荘はローマ貴族の別荘ですが、
なんと温泉施設も備えていて、
カラカラ浴場と同様、素焼き土器を壁に埋め込んだ
「二層式温め」(勝手に命名)お風呂の跡を
見ることもできます。
チェチリア・メテッラの墓とクインティーリ荘については、以前の日記をお読み頂ければ幸いです。閉園時間となり後ろ髪を惹かれる思いで
クインティーリ荘を後にし振り返れば
こんな夕焼け。