今年初、久々にローマのガイドツアーに
イローナと参加してきました。
だいぶ暖かくなってきたので歩くにもいい気候ですが、
わたしたちの行く所は往々にして
地下遺跡とか教会なので、やはり寒いです~。
桃の節句の日でした。まずはサン・グレゴリオ・マーニョ教会。
大教皇の称号を与えられている
6世紀のグレゴリウス1世が、修道士時代に
自分の屋敷を修道院としたものが前身です。
現在、教会の入り口として目を引いているのは、
教会自体の正面部分ではなく、
門のように作られた装飾です。
17世紀、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの命で
ジョバンニ・バッティスタ・ソーリアが造りました。
ローマ教皇グレゴリウス1世は
流行病ペストの終結を祈願する行進をした際、
ローマ皇帝ハドリアヌスの霊廟の上に
天使を見たそうで、
現在その霊廟はサンタンジェロ(聖天使)城と
呼ばれています。
この伝説を描いた絵も教会の中にありました。
ここには有名な3つの礼拝堂が外にあります。
通常、礼拝堂はカッペッラ(英語でチャペル)と呼ばれ、
教会内にありますが、
外にある礼拝堂のことはオラトリオと言います。
一旦、外に出て隣の小さな門から入ると
礼拝堂があります。
まず向かって左の聖バルバラ礼拝堂には、
グレゴリウス1世が修道士たちと利用した
大理石の食卓があります。
最後の晩餐に倣い、彼と母親の聖シルヴィアは
ここで毎日12人の貧者に食事でおもてなしをしており、
その際に天使が現れたという伝説があります。
それを17世紀に描いたフレスコ画がありました。
真ん中の聖アンドレア礼拝堂は
左にグイド・レーニ、
右にドメニキーノという
ライバルの絵を対面させた、
まるで美術館のようなところです。
いずれも聖アンドレアの最期にまつわるシーンを
描いたもの。
湿気が多くて保存状態が悪いのが残念です。
右の聖シルヴィア礼拝堂は最も新しく、
17世紀に枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの命で
造られました。
ここではグイド・レーニが
楽器を奏でる天使たちを描いています。
この敷地内にはグレゴリウス1世より少し前の
ローマ教皇アガペトゥス1世の図書館跡もあります。
礼拝堂を通って来なくても、
横を走っている道、スカウロ坂からも見られます。
もう少し先に行くと、
3世紀のインスラ(古代ローマ時代の高層アパート)の
跡があり、
地上階を占めていた食料品店を
見学することができました。
ところでこの横の道スカウロ坂(Clivo di Scauro)は
タイムスリップしたような気になりますので、
おすすめします。
手前のアーチは5世紀、残りは13世紀のものです。
一般公開しているインスラもあって、
英語のガイドツアーも時々あります。
クラウディウス帝の神殿跡や
水道橋跡も見られるので
チェリオ地区大好きです。
午後に行ったのもチェリオ地区でした。
ラティーナ門近くにある紀元後1世紀の
ポンポニウス・ヒラスの墓所です。
公園の中に怪しいドアがあり、
そこを入って狭い階段を降りつつ
視線だけ上げると
ポンポニウス・ヒラスと
夫のポンポニウス・ウィターリスの名が記された
美しいモザイクの装飾があります。
上に2人の遺灰壺を置いて祀っていたのでしょう。
この墓はポンポニウス・ヒラスの生前から
既にあったことが銘文から分かります。
階段を下まで降りきるとそこは集合墓地。
遺灰壺を入れる棚が多数あり、
これはその形が似ていることから
鳩穴(コロンバリオ)と呼ばれています。
お金持ちの解放奴隷夫婦の豪勢なお墓も。ここはアッピア旧街道も近く、
付近にはスキピオ一族の墓地がある他、
ボッロミーニが修復した
八角堂のサン・ジョヴァンニ・イン・オレオ礼拝堂や
サン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会。
この教会の隣にはなんと
日本大使公邸がありました。