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カテゴリ:生き方・モラル
十人十色、という言葉どおり、
人はそれぞれ考え方や行動が違います。 自分を甘やかしている人もいれば、 中には自分に徹底的に厳しい人もいる。 前者よりもむしろ後者の方がよろしい、 という感覚ではありますが、 自分に対する厳しさもいろいろと種類があるようで、 次の高みへめざすための気合い入れとして厳しく構える場合もあれば、 自分で自分をダメ出しし、「だから自分はダメな人間」と 自分で負のレッテルを貼ってしまう人もいます。 今日、コーチングをした部下は、 むしろそういう考え方をする人間。 彼は他人に対してものすごく厳しいものの見方をします。 それも建設的ではなく破滅的な見方。 「一緒にがんばろう」という結論ではなく、むしろ 「あいつを排除したい」という結論がでてしまう考え方。 その彼の言い分を徹底的に聞きました。 そして彼の言葉を僕なりの解釈で僕の言葉として彼に返す。 そういうやりとりを30分ほど続けると、 彼は自分の口からポツリとこんな言葉を発しました。 「…要は自分が好きじゃないから、他人も好きになれないんですかね?」 まさに僕が指摘したかったことを 彼自身が気づいた瞬間でした。 人間が人間としてまっとうな人生を送りたい。 これは誰しもが望むことです。 そのためには自分に関係するヒト、モノ、コト、 そのすべてが自分にとって心地よいものでありたい。 これにも誰も異論はありません。 ただし人はそれぞれ考え方や行動が違いますから、 自分にとってすべてが心地よい状態であるとは限らない。 いやむしろ不快な状態・状況の方が圧倒的に多いでしょう。 それでもなお、まっとうな人生を送るための処方箋。 それが「自分を愛すること」だと思うのです。 自分を愛するからこそ、自分をとりまく他者をも慈しむ気持ちになる。 相手を慈しむから、相手も自分を愛おしく思ってくれる。 人間だけではなくモノやコトについても同様です。 かくして、まっとうな人生を送るための すべての根源は『自分を愛する』ことから始まるのだろう、と。 彼には、「自分を好きになることが肝心」ということを 自分自身が気づいたことを指摘した上で、 「そういう重要なことに気づくことができるほど あなたは高い能力を有している」ことを返しました。 一朝一夕に考え方が変わるわけではない。 でも「自分はまんざらでもない」という小さな気づきを積み上げていくこと、 これが「自分を愛する」ための地道な取り組みなのでしょう。 僕も以前は自分をダメダメ人間と思っていました。 「自分を愛する」なんてそんな歯の浮いたようなこと、 自分の性に合わないと決めつけていました。 たくさんのコーチに出会ってさまざまな考え方や行動に接し、 徐々に無意識のうちに「自分を認める」ということを 頭の中でやっていたのでしょう。 今では、自分に不得手なことに直面したときにも自分を卑下するのではなく 「それが不得手な自分を認める」領域にまで来たように思います。 僕はその領域まで来るのに5年はかかりました。 個人差はあるでしょうが、一朝一夕にはいかないんですね。 でも思い続けていれば、水が岩をも穿つように、 いつかは変わる場面が出てくるんだと思います。
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