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テーマ:エニアグラム(61)
カテゴリ:エニアグラム
連休3日間をフルに使った、
エニアグラム・ワークショップのセカンダリー集中コース。 今回も刺激のある、学びの多い内容でした。 特に衝撃的だったのは、 自分にとって「嫌いな人」の定義とその本質に迫るワーク。 まずはめいめいが自分の嫌いな人を挙げました。 僕の場合は『空気が読めない人』。いわゆるKYというヤツ。 みんなで楽しく会話をしているさなか、 間にいきなり割り込んできて、 しかもてんで次元の違うことをしゃべり出す。 自分としてはまったく興が削がれてしまい、 それ自体が不快に感じます。 みんなで力を合わせて何かをやり遂げようとしているときに、 前触れもなく自分勝手な行動をし始める人もダメ。 そんな人が一人いるだけで、目標達成がその分遠のく。 タイプ3の「合理性」「達成」という価値観と 真っ向から対立するんです。 その「嫌いな人」のイメージを絵にして、みんなの前で発表し……。 と、ここまではいつものワークと同じ流れ。 いったん休憩をとった後、ファシリテーターが発した言葉に 耳を疑いました。 「あなたがたが挙げた『嫌いな人』、それはあなた自身です」 な、なにっ!? 嫌いな人とは自分自身だとっ!? あまりの唐突で衝撃的な結論に、 参加者全員がポカンとしてしまいました。 僕も頭の中がグルグルし出します。 エニアグラムしかり、コーチングしかり、 「自己肯定感を養う」ことが重要であり、 それに基づいたワークショップやセミナーを受けてきました。 ところが「嫌いな人は自分自身だ」と言われると、 その自己肯定感を真っ向から突き崩す話です。 「どういうこと…?」とグループ内でディスカッションし出したとたん、 「あっ!」と声をあげそうになりました。 前日のワークショップで「自分の嫌だった思い出」を出すワークがあり、 僕は 「学校のクラスで、とあるクラスメートと比べたときに、 自分と同等か自分の方がイケてるのにもかかわらず、 クラスからの注目を浴びたのはクラスメートの方で、 自分のところには誰も来ず、疎外感を味わった」 というエピソードを披露したのですが、 その内容がディスカッション中ににわかに蘇ったんです。 「あのとき、自分の周りに誰も来なかったのは、 実は僕がKYだったからではないだろうか?」 そう思ったとき、何となく分かった気がしました。 「自分の嫌いな人は、自分自身のことである」という言葉は、 「自分の嫌いな人は、自分自身の投影である」とも言い換えられるようです。 自分の嫌な部分の投影が、自分の嫌いな人像をつくっている。 本当に摩訶不思議な理屈で、さらに腑に落ちるにはもう少し時間がかかりそうです。
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