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カテゴリ:コーチング・コミュニケーション
昨日の日記の続きですが、
質問のカテゴリというのは二対の関係があります。 昨日、事例として出した 『ネガティブ質問』と『ポジティブ質問』も二対の関係。 他に 『肯定的質問』と『否定的質問』、 『抽象的質問』と『具体的質問』 『未来に関する質問』と『過去に関する質問』 『被害者的質問』と『主体者的質問』 等々……。 どのカテゴリも、その時々に応じて必要な質問の種類です。 ただし気をつけなければならないカテゴリが1つ。 それは『被害者的質問』です。 私たちは自分にとって不測の事態が起きたとき、 得てして『被害者意識』にとらわれます。 たとえば車を運転していて子どもが飛び出し、運悪く事故になった。 この場合、客観的に見れば、 車を運転していた自分は加害者であり、 車に接触した子どもは被害者です。 しかし自分としては慎重に運転していたし、 子どもが飛び出してくるなど想定外のできごとだった。 「なんて自分は運がついてないんだろう。 あの子どもによって自分は事故を引き起こされたのだ」 という思いになってしまう。 この時点で被害者と加害者が自分の観念下ではすり替わっています。 たとえ加害者であっても、被害者にすり替えることで 他者からの同情をかうことができ、 結果的に自分のやりきれなさを少しでも軽減させ、 メンツも保ちやすくなる。 そういう計算が無意識のうちに働いているからでしょう。 しかし被害者意識のもとでやり過ごすのは一時しのぎに過ぎません。 子どもを被害に遭わせたのは紛れもない事実。 いつまでも被害者意識にとらわれて自分の正当性を主張し続けると、 そのうち周囲からの同情はなくなり、 逆に「往生際が悪い」となって信頼性が損なわれます。 「誰のせいで自分はこういう事態に巻き込まれたんだろう?」 という被害者的質問と、 「こういう事態になったのは自分のどこがまずかったのだろう?」 という主体的質問。 人は思わず前者の質問を好んでしてしまいます。 とっさの時はそれもしょうがありません。 しかし、クヨクヨとこの質問を続ける限り、 いつまでも責任は他人にあり、環境にある、 ということを主張することになります。 つまり自分が変われるチャンスを逸しているわけです。 被害者的質問を決してするな、というわけではないと思います。 僕も思わずそういう質問を自分にしていますしf(^ー^; 重要なのは 「あ、今、自分は被害者意識のもとで被害者的質問をしている」 と気づくことなのでしょう。 被害者的質問をしている自分を意識できれば、 自然に主体者側にまわることができる。 そう思います。
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