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テーマ:宗教について(189)
カテゴリ:生き方・モラル
昨日の話のうち、
女性芸人・オセロの中島知子さんの件の続きです。 彼女が傾倒している女性占い師に、 かつて同じように傾倒していた女性が テレビのインタビューに答えていました。 当時はすっかりマインド・コントロール下におかれ、 占い師の言動を何の疑いもなくすべて肯定していたとか。 占い師の言うがまま、さまざまなものを貢いで資産を食いつぶし、 正気に戻ったときには巨額の借金だけが残ったと。 この状況に、損害賠償請求ができるのでは? という向きもあるのですが、 専門家に言わせると難しいらしいのです。 脅迫されて貢いでいたのならともかく、 この場合、自ら進んで金品を供与しています。 しかもその対価、というのは「神に近づく」という 曖昧模糊としたものであり、実態が客観的ではありません。 曖昧模糊なものに対して法的な売買契約は成立しづらく、 よって損害を受けたと認定されるにはとても難しいと。 この話を聞いて 「ああ、宗教と同じ構図だ」と嘆息しました。 お布施だ、接心だと、さんざんお金を支払っても、 じゃあ自分の望みが叶うかどうかはわからない。 叶わなかったとしても、まず宗教法人に「金返せ」とはなりません。 あくまでも自分の意志でお金を出したに過ぎないから。 そして望みが叶わないのは「信心が足りないから」 という論理にすり替えられ、 かえって自分で自分の首を絞めることになるから。 かつて僕も子どもの頃、母親に連れられて 2つのとある宗教団体を渡り歩いたことがあります。 そこで見聞したさまざまな事象を見るにつけ、 宗教に傾倒するおぞましさ、むなしさを、 この身を持って体験しました。 そういった体験を通して、 「宗教とは、自分の心の『あり方』である」 という悟りを持つようになりました。 何だかんだと言っても、最後は自分の軸が結果を制します。 今も他力本願的に宗教を信じている人がいますが、 それだと結局流されてしまって、自分のためにはなりません。 くだんの占い師のことも、同じ構図だと思います。 早く正気に戻ることを願います。
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