|
テーマ:宗教について(189)
カテゴリ:生き方・モラル
先日の日記でも書きましたが、
僕は子どもの頃、母親に連れられて 2つのある宗教団体に時期を違えて属したことがありました。 そのうちの1つ目は、小学校3年生の頃でしょうか。 キリスト教系のその宗教では、教えの中核に、 「西暦2000年前後に、この世の終わりが来る」 というテーマがあり、しかし信者である限り 「神は救いの手をさしのべる」としていました。 聖書の中に出てくる『ノアの箱船』が現代に蘇る、というのです。 にわかには信じがたい話ではありますが、 しかし当時、偶然にも 五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』が流行っていて、 「1999年7の月に空から恐怖の大王が降ってくる」という 有名なフレーズとともに、世の終わりの予言の存在が 広く世間に流布されていたことに及び、 子供心に「本当に世の終わりが来る」と信じたものです。 この教えでは鯨が神聖化されていたのか、 事情はよく分かっていませんでしたが、 「鯨肉を食べてはいけない」という戒律がありました。 その頃、学校給食では鯨肉のカレー粉揚げがよく出ていて、 僕はそうは言っても 母親がさほど深入りしていたわけでもないため、 鯨肉を食すことには抵抗感はなかったのですが、 ある同窓生は家族揃って熱心な信者で、 その子はそのメニューをいつもスルーしていました。 2~3年経過し、飽きてしまったのか、何か思うところがあったのか、 毎週のように集会に通っていた母親の足が遠のいてしまい、 同時に僕も行かなくなってしまってそれっきり。 ただ僕の胸の中には、『世の終わり』が 深くアンカリングされていて、 「信者でなくなったということは、僕は救われない」 と本気で思ったことです。 21世紀は来ない。 なので僕の人生は30歳代半ばで潰えると。 無邪気であるはずの小学生の僕は、 夢も希望も考えることができない 悲しい子どもになってしまったのです。 その後、中学生になり、高校生くらいになると、 少しは考えを和らげることはできたものの、 しかし『世の終わり』を否定する決定打は現れません。 大学生になり、就職し、 今のヨメさんと結婚し、長男が生まれたことに及んで、 ようやく『世の終わり』に対する考えが薄まりました。 でも深いところではやはり払拭できなかった。 それが証拠に、1999年を見届け、 コンピュータ2000年問題を切り抜け、 2001年の年明けを迎えたときのこと。 今でも忘れられません。 実家でお正月の膳を囲みながら、 『世の終わり』は結局来なかった、という安堵感とともに、 これまで自分の未来像を真剣に考えてこなかったことで、 今度は言いしれぬ不安感がこみ上げてくるのを感じました。 ただ、僕は遠い将来のビジョンを描くのが苦手なタチで、 『世の終わり』の存在を良いことに、 ビジョンメイキングに逃げを打っていたフシもあります。 とはいえ、『世の終わり』は僕の半生に大きな影響を与えました。 これは『軽い洗脳』なのかもしれませんね。 『世の終わり』を信じるがゆえに 自分の未来像に封印をしてしまう。 何とも悲しいことです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[生き方・モラル] カテゴリの最新記事
|
|